わずかな機械音と共に、私の意識は目覚める。
久しぶりの現実の視界に初めて映ったのは、世界で一番大好きな人の、キレイな翠色の瞳、あとついでにボールペン。
いろはの目だとぼんやり思ったところで意識が完全に覚醒する。
YC型の起動試験以来に感じる重力と、まだ馴染まない身体の鈍い反応を重さとして感じながら、身体を起こす。
「ぅぁ……おもっ……」
そんな私を尻目に、彩葉はYC型より向上しているらしい適合値の話をしていて……。
「パンケーキ!」
私は私で湧き上がる欲望を口に出して、というより叫ぶのであった。
今日は、私が八千と十年ぶりに現実に帰ってこれた日。
味覚と嗅覚、未だ実装できていない感覚もあるけど、帰ってこられたんだ。
―――
「う"ぇー!?また試験ー!?」
研究所に悲鳴が響き渡る、起動して三十分経たずで終わったYC型の試験と違って、長時間稼働していられるのは嬉しいけど、試験試験、試験飛ばしてまた試験では泣き言の一つも言いたくなる。
「必要なことなんだから仕方ないでしょ?あと三つこなせば自由時間だから」
幸いなのは、立場的にはえらえら彩葉なはずの彩葉がずっと付き添ってくれていること。
「あと三つも!?!?!?!」
それはそれとして悲鳴はあげる、疲れたよ彩葉。
結局、突如増えた試験に「増えた!?」と追加の悲鳴をあげたり、やっつけたはずの試験が帰ってきたりで、私に自由が与えられたのは社会人で言う定時とやらをとっくに過ぎたころだった。
彩葉は試験のデータをまとめたり忙しいらしくここで離れ離れになってしまう。
名残惜しい、というか叶うなら時間なんて気にせず彩葉と触れ合いたい、だけど私も彩葉も大人なので我慢する。
「いろは、お仕事どれぐらいかかりそう?」
「うーん……この感じ確実に九時ぐらいまではかかるかなぁ……」
「だと思って芦花に夜ごはんお願いしといたから、カップ麺とか食べちゃダメだからね?」
「ナイス、だけどまた芦花に恩が増えていく……」
そんなやり取りの後、芦花への積み重なる恩を思い出したのか、とぼとぼと仕事に向かっていった彩葉を思い出す。
「……よし」
私は私で、兼ねてから計画していた作戦を実行に移すため、歩みを進める。
……試験の結果、現状では細かい動作も激しい動きもダメらしいけどどうにかなるだろう、というかどうにかする!
―――
「「おかえり、かぐや」」
計画のため、研究所備え付けの調理室へ向かった私を迎えてくれたのは、私が呼んで待ち合わせしていた人と、予想外の待ち人で。
あ、因みに、なんで研究所に調理室なんかあるんだよって話だけど、彩葉が「料理できる場所があれば皆カップ麺生活やめてくれる!」って作ったんだよね、みんなのカップ麺作る効率が上がる結果に終わったらしいけど。
「芦花!真実!……いや真実はなんで!?子育てで忙しいでしょ!?」
「なんでじゃないでしょ~?かぐやひっど~こんな楽しそうなイベントなのに私呼ばないとか」
「真実は食べ物関係の話で呼ばない方が大変だから、私の方で声かけておいたよ~」
「なにその食べ物関係で私呼ばなかったら拗ねて面倒みたいな扱い……」
「だってそうだし?」
「ひっど~!?まあそうなんだけど」
「認めるんかい」
十年来の親友トークを披露する二人のところまで歩いて行って抱きしめる。
真実は子育てもあるしと遠慮して呼んでいなかったのだ、望外の嬉しい再会になった。
「ただいま、二人とも」
そんな私を、芦花と真実は優しく受け入れてくれる。
「かぐやにしては大人しいじゃん?もしかして走ったりとかまだダメ?」
「無理すれば走れるけど……たぶんいろはに死ぬほど怒られる」
「じゃあダメか、安静に……って作戦大丈夫?いける?」
「うっ……ダメそうなところあったら二人にお願いするかも」
「任された」
「りょ~かい~」
「じゃ!やりますか!かぐや復活いろはサプライズ計画!作るぞ彩葉ディナー!」
「「おー!」」
え?味覚も嗅覚もないし、身体も満足に動かせないのに料理なんかできるのかって?
そこはほら、気合いと彩葉への愛と、芦花と真実のサポートでどうにかね?
「ところで何作るの?合流した時にはもう芦花が材料全部買い揃えてたから何も知らないんだよね」
「えっと、トウモロコシから作るポタージュと、ごぼうとアスパラのサラダ温玉付きと、トマト煮込みハンバーグ、ズッキーニのソテーを添えて……かな」
「な、難易度高くなぁい……?」
「材料買ってるときも思ったけど結構手間かかるよねこれ」
自分たちが作るならまだしも、超が付く病み上がりのような状態の私が作るのは難しいんじゃないかという指摘、困ったことに何も言い返せない。
「うっ……このメニューね、かぐやがいろはに初めて作ってあげた料理なの、だから今日作ってあげたくて……」
「……それはずるいよかぐや~」
「ホントにね、それじゃあ多少無茶でもやり遂げるしかないじゃん」
「……ありがと!芦花!真実!」
こうして始まった生後数時間、実年齢八千歳+αとその親友たちによる調理過程は、まあ悲惨というほかなかった。
まず一番最初のポタージュで躓いた、プロトタイプの身体ではうまく包丁を扱えず、昔のように包丁でササっとトウモロコシを分解できなかったのだ。
芦花がたまたま見かけて買ってきてくれていた、トウモロコシ外すための便利グッズとかいう謎の存在がなければ、最初っから芦花たちに頼るところだった。
サラダ作りではちゃんと形を揃えるどころか、ごぼうに力負けして芦花と真実をひやひやさせちゃって、芦花に後ろから支えてもらいながら切る羽目になったし。
ハンバーグも酷かった、卵をうまく割れず殻がそれなりの量紛れ込んでしまった、真実の『一回計量カップに割ろ?』という提案がなければ大変なことになっていたよ。
……計量カップ内の殻を取り除くのも結構大変で半泣きだったのは内緒だ。
そのあとの捏ねる工程も酷かった、力が足りなかったのか、それとも時間をかけ過ぎたのか、うまくまとまらずぐちゃぐちゃの失敗作が生まれてしまい、味見もかねて焼くだけ焼いてみて二人に食べてもらうことになったり。
結局、冷やした木べらを使うという、芦花がネットで見つけてきてくれたテクニックでどうにかこうにか捏ねることができて。
その後も上手いこと成形やら空気抜きができず、昔のかぐやならこんなことには……なんて歯ぎしりしながら、必死に、本当に今までの人生で一番ってぐらい必死に作った。
「で、できたぁ……」
六時過ぎに始まった調理は、九時過ぎにようやく終わりを迎えた。
そこまで苦労して机の上に並ぶのは、笑ってしまうほど不格好な料理たちで。
人前に出せるような見た目をしているのはポタージュだけ、それ以外はみーんな不格好。
サラダは切り方が不揃い、乗せるべき温玉もハンバーグの際の惨状で作るのは無理と判断して、真実に代行してもらったものだし。
ハンバーグだって失敗と妥協の産物、以前作った時はキレイな形に作れたのに、目の前にあるものは崩れかけで見る影もない。
その上、本当は生のトマトから作りたかったソースも、時間やら何やらが足りなくて芦花に再度買い物に出てもらって用意したトマト缶で作ったものだし、ズッキーニのソテーも少し焦がしてしまった。
……これ、彩葉に出したら逆に悲しむかな。
なんて考えていたら、後ろから真実がもたれ掛かってくる。
「昔みたいにできなかったし、彩葉に見せない方が~って思ってるでしょ~」
芦花が頭をぽんぽんと撫でてくれる。
「大丈夫だから、あったかいうちに彩葉呼んでこよ?」
「……わかった、行ってくるね」
二人に背中を押されただけで、簡単に流されてしまう自分の単純さに笑いそうになりながら、彩葉の所長室までてくてくと歩いていく。
ドアを開けて、彩葉の背中に控えめに触れる。
「……いろは?ご飯できたよ?」
「……いろは?ご飯できたよ?」
背中を遠慮がちに触れられて、そんな控えめな言葉を掛けられる。
「かぐやのことだしドーンって体当たりしてくると思ったのに」
「それやったらいろはめっちゃ怒るでしょ?」
「お、よくわかってて偉い、まだプロトタイプなんだから無茶しないでよね」
「えへへ、りょーかい」
「てかご飯出来たって調理室で作ったの?てっきり芦花がお弁当かなんか持ってきてくれるのかと」
「えっと……今日は特別だからさ」
なんかかぐやの様子が変な気がする、義体の不調でも起きてる?そんなはずはないんだけど。
「ま、とにかくご飯を頂きに行きますか、ちょうど仕事も一段落……はしてないけどここで食べておかないともう食べないだろうし」
チャットツールでみんなにキリのいいところで休憩するよう指示を出してから、席を立ってかぐやの手を握る。
「行こっか、かぐや」
「……うん、いこ、いこ」
いつぞやのセリフを呟くかぐやをエスコートしながら調理室へ向かう。
そこには芦花と、なぜか真実が居て。
「あれ?なんで真実も居るの?」
「まあまあ、そこはいいじゃないですか~それよりも、冷めないうちにどーぞ」
「そうそう、超豪華だよ?」
二人の指さす先に用意されていたのは、突如現れた宇宙人に全財産使われた時に食べた料理。
「これ……って……」
あの時と比べてしまうと、どうしても不格好な部分が目立つけど、間違いなくあの時の料理で、かぐやの『今日は特別』の意味をようやく理解した。
「かぐやが……作ったの?」
「……うん、ごめんいろは、失敗だらけで見た目も不細kもが……」
かぐやの顔を私の身体に押し付けるようにして、無理やりその先の言葉を遮る。
「私の大切な人の作ってくれた料理の悪口なんて言わせません」
「ありがと、かぐや、大変だったでしょ」
さっきチラッと見えた汚れた調理器具の山、初めて料理をしてくれた十年前よりぐちゃぐちゃで、そこにもかぐやの苦労が垣間見えた。
かぐやは、少しだけ動いて口の自由を確保して。
「うん、芦花と真実にもいっぱい手伝ってもらっちゃったし、味も……どうだろ、二人はおいしいって言ってくれたけどわかんないや……」
「それに妥協だっていっぱいしちゃったし、あの時の再現はできなかったよ」
「……自信なくていろはには隠そうかなって思ったんだけどさ、二人に背中押されちゃった」
少し震えているかぐやの、私に抱き着く力が少し強くなる。
「ねえいろは、かぐやを産んでくれてありがとう、これは私からのサプライズプレゼント……美味しくなかったらごめんね」
「美味しくなくても、美味しくなるまでいくらでも付き合うっつーの」
そう言ってかぐやを思いっきり抱きしめる、そうして暫く時間が過ぎたころ。
「お二人さん、ホントに料理冷めちゃうって……」
ちょっと呆れた真実の声で現実に引き戻される。
視線をあげると呆れた表情の真実と、困ったような笑顔の芦花が居て。
「おわぁ!?真実!ナイス指摘!完全に雰囲気に吞まれてた!」
少し名残惜しそうなかぐやには申し訳ないが料理に向き合って、あの時と同じようにポタージュから始めて、一通り味わう。
「かぐや、大丈夫、全部美味しいよ」
美味しくなかったら画期的貧乏飯を初手で食わせたこととお相子だね、なんてかなり苦しい誤魔化しを用意していたが、そんなものは不要で、ちゃんとかぐやの味だった。
それを聞いたかぐやは、安心したのかその場にぺたんとへたりこんで。
真実は「だから美味しいって言ったじゃん」とグルメインフルエンサーとして、嘘はつかないのにと少し不満気で。
芦花はかぐやの様子を見て「よかったねかぐや」なんて感極まって涙を流していて。
本当に、私もかぐやも素敵な友人に恵まれたなって感謝しながら、かぐやからの贈り物を食べ進める。
遠くない未来に、私だけじゃなくて、かぐやも一緒に料理を味わえるようにするんだと改めて誓いながら。
……ハンバーグに結構大きめな卵の殻が入っていたのはまあ、ご愛嬌というやつだろう。
