※原作時戻り捏造if。
◇
俺には常々気になってることがあった。
「五条先生って、いつ俺のこと好きになったん?」
「えー、秘密ぅ」
「はあ? 俺には洗いざらい言わしといて」
「んふふ、いやあ、悠仁を好きになった瞬間ってさあ、やばいくらい興奮したんだよね。もうアドレナリンどばどばで、それまで経験したどんな戦闘とかセックスよりもずっと血が巡って」
「……俺性欲が芽生えた瞬間を聞いたわけじゃねーんだよね」
「似たようなもんでしょ」
「価値観の不一致~、それ離婚原因のトップスリーだわ」
「え、じゃあまずは結婚する?」
部屋で二人きりなのでせっかくだからと聞いてみた疑問に、五条先生がそうやって俺をあしらう。俺を見つめて綺麗な顔でにっこり笑う。悔しいことに、デリカシーも恥も衒いもない感じの彼氏なんだけれど、最後の提案にだけは思ってしまった。……したいなあって。
変な顔をした俺を先生は嬉しそうに抱きしめて来た。
「僕はあの瞬間のときめきをもうちょっとだけ一人で楽しみたいから内緒」
「けちくさいなあ」
嘆息してから考える。
「えー? 先生がときめくって……そんな劇的なシチュエーションあったかなあ。俺が戦ったりしてるとき?」
「ううん。特にスリルもショックもサスペンスもないし、ロマンチックな状況でもないね。たぶん、悠仁はわかんないよ。覚えてもいないかも。でも奇跡的ではあった」
「なにそれ」
「偶然性ってやつかなあ、それを逃したら僕はたぶんその時悠仁を好きだって思ってなかった」
「……なにそれ」
なんだよ。じゃあ、先生はその偶然が無かったら、今俺とは恋人にはなってなかったってこと?
先生の俺への好意は、気持ちが降り積もっていって、やがて恋になるような、そういうもんでは無かったってことなのか。俺はそうなんだけど。先生は違うのか。
先生がその偶然とやらに出会ってくれて良かったなと思う。思うと同時に、必然じゃ無かったんだなあと、ちょっとだけがっかりした。
そんな記憶がいまさらよぎる。
俺は、何の因果が時を巻き戻ってしまった。
いや、原因は分かっている。決戦の場に持ち込まれたいくつかの呪物と、宿儺の悪あがきと、俺の領域展開とがおかしな感じで相互作用してそうなったって感じだ。奇跡的な偶然性ってやつだろうか。どっかで聞いたな。
ともかく、その結果、俺は宿儺との戦いに決着がつく寸前も寸前で過去に飛ばされた。意識だけ巻き戻ってしまった。
今は、高専の死体置き場。一度心臓が消えて、また新しく再生し、蘇ったところだったらしい。
身体をおこした俺の目には驚く伊地知さんの姿、家入さんの後姿。そして唖然とこっちを見上げる五条先生が見えた。
生きてる先生だ。
何が起こったのか、というのは直感的だけど何となくわかった。それでもさすがに現実として受け止めるには俺の脳みその許容量が足りない。今までの出来事が無かったことになったんかよ、とか、もしかしてこっからやり直せるってことか、とか。ぼんやり考えている間に、視界の先生が呆れたような笑顔になって、今度は面白そうに手を上げ近づいてきたので、俺は慌てて向き合った。
そうだ、オッスってやらんと。ただいまって、言わないと。……咄嗟に手も上げた。
パチンと音がして、ちゃんとハイタッチは出来たらしい。けれど直後先生の顔を見て、自分が過去と同じような明るい挨拶を出来なかったんだと悟った。ぎょっとする先生の口元を見ながら、俺は軽く泣いた。
この巻き戻りは一過性のものではなくて、固定らしい。未来へは帰れない。
巻き戻ったということは、全てがやり直しなわけで、俺が知っている未来で起きた様々な惨禍がこれから待ち受けているんだと思えば、重苦しい気分にもなる。けれど、逆に言えば、やり直しが出来ると言うことは、知識によってそれらを上手く退けられるということだ。数多の犠牲を出しながらも決死の思いであそこまで宿儺と羂索を追い詰めたのはなんだったのか、と思わないわけでもない。けれど、もう言っても仕方ないことだった。
順平が死なず、ナナミンも死なず、釘崎も、伏黒も、呪術師達も一般人も、傷つけられず、東京は壊滅しない。羂索の暗躍を阻んで、特急呪霊達を祓って、五条先生が封印されてしまうことも、復活した宿儺と戦って死ぬこともない。俺が持ってる情報を、賢くて有用に使える人たちにすべて渡せば、たぶん万事うまくいくようになるんだろうとは思った。俺が信頼した人たちだから。
そういう世界になるのなら、それが一番いい。
ただ一つ残念なことはある。
「先生、もう俺に恋してはくれねんだろーなあ……」
そういうことだ。
先生と俺の関係は、恋人以前に巻き戻ってしまった。
俺は先生とそういう関係になる前に、先生から俺への秋波を感じたことは無かった。なんか良い雰囲気ぽくなったこともだ。ないと思う。
そもそも俺は恩師に向けるには持て余し気味な好意を抱えていただけで、先生とどうにかなるつもりなんてこれっぽっちもなかった。「俺って五条先生大好きすぎるなあ」と言う自覚はあったけれど、恋とか執着の認識までには至ってなかった。
それが地下室を出たときに突然先生に好きだと言われ、驚き目を瞬いてる間に「その反応ならいける。とりあえず付き合おっか」とお付き合いすることになったのだった。急展開すぎる。
他から見れば突っ込まれそうだけれど、結局俺は(仮)がついた恋人関係になって一週間で、俺の方も先生が好きなんだと気づいた。ああ、今までの感情ってそうだったのか、と噛みしめるような塩梅で。
手を挙げて「はい先生、俺先生のこと好きだったみたいだわ」と告げた時には、先生は幸せいっぱいの顔をして「知ってた~、でもちょっと不安だった、いやホントはかなり」と俺の手を握りしめて来た。後半は、ちょっと真顔だった。
まあ、だから俺は知らない。
前の五条先生が俺のいったいどこを好きになったのか。
いつ、どこで、なにがきっかけだったのか。
何を好ましいと思ってくれたのか。
俺を――――虎杖悠仁を好きでいてくれた五条悟は未来に置いてきた。そもそもあの世界では死んでしまった。
あの先生が消えてしまったのだとは思いたくない。けれど、俺はもう、その問いを永遠に聞くことはできない。
前回、秋波とまではいかなくても、先生の態度がうっすらとだけどなんか違うかな、と思ったのは、少なくとも交流会の直前あたりだった。先生に鍋振舞って一緒に食った後くらいかな。だから、なんでかは分からないけれど、たぶんあの頃に先生は俺に恋してくれたんだと睨んではいる。
だとすれば、今の先生は俺のことは何とも思ってない先生ということだ。前回は奇跡的な偶然で俺を好きになってくれたと言うのだし、きっと今回はそうはならないんだろう。俺がどんなに先生を好きだったとしても、まあ先生の眼中にないのではなにも始まらないし。そもそも俺が好きだったのは、巻き戻る前の先生で、今の先生とは別人なのかもしれない。
……だから、俺はひっそりと諦めることにした。思い出が胸にあれば十分じゃん、と。今の先生は生きている。それで十分。
「まあ、どっちにしろ、そんなことにかまけてる場合じゃねーしな」
そう、俺は切り替えた。これから俺を含め呪術界は、惨劇の回避に向けて慌ただしく立ち回らなけりゃいけないわけで、俺個人の感傷に浸ってる暇なんて無い。
日本とか、かかってるんだから。
そういうことだろ。
◇
悠仁を初めて見た時に思ったのは、へー面白そう。
これだった。
「で、なんでこの子宿儺の指食べちゃったの?」
「……俺を助けるために、呪力を得ようとしたみたいです」
「まじ? ははは」
そんな子いるんだ。僕はまじまじと腕の中の子供を見た。若いのにずっしりと筋肉のつまった良い身体。ピンクの髪は染めてるのか分からないけれど、似合ってるなと思う。ふむふむ、と抱えたまま髪の手触りを確認したり、どんな人相かなと近くで凝視していると、隣の恵から「セクハラですよ」と突っ込みが入った。
まじ? 最近、そういうの厳しくない?
期待値高そうな子だなあと思って、ワクワクしてただけなのに。一応、君のお願いを聞き届けて、この虎杖くんを助けてあげる算段してるのに。GTGなのに。そんな不満を持って、その時の僕は学校の屋上で悠仁を抱えなおした。
実際、悠仁のポテンシャルは僕の期待に即していて。肉体的にも、精神的にも戦える強さを持っていることがすぐに分かったんだけど。僕の目を引いたのはいばらの道を進むと決めたこの子の、少年漫画の主人公っぽさではなかった。
「……宿儺が消えれば、呪いに殺される人も減るかな?」
僕が即死刑か、いずれ死刑かの二択を突き付けた結果がこの反応で。悠仁は、自分が死ぬかもって話を、泣くでも恐れるでもなく自然に受け止めていた。
焼き場は静かだった。
なんとなく、恵とのやり取りを見てて、悠仁は明るくバカ騒ぎをするタイプなのかな。と勝手に思っていたけれど。そんなことはない。
じっと黙ってお祖父さんの骨を焼いて、拾って。そして僕の隣でとつとつと話す。静寂の空気が不思議と似合っていて、そして僕は心地よく感じてしまった。この子の空気は好きだと思った。
まず、僕を横に置いて、自分のタイミングで呼吸ができている時点で他と違うと言えば違う。
最強として生まれた業なのか、呪術師も非術師も野生の鳥獣も。みんなみんな僕の気配を気にするのが普通だ。恵も、七海も、硝子も、そして傑だって、どこかで僕との間合いを測るみたいな緊張感があった。身内認識だったとしても関係ない。生き物としての本能的な恐怖なんだろう。それは僕にとって生まれた時から当たり前に向けられたものなので、いまさらどうも思わない。
けれど、悠仁は仙台から上京する新幹線の中でこんな調子だったものだから驚いた。
「俺はもうその呪力っての使えんの?」
「うん、呪霊も見えるでしょ? 呪力を見る力も感じとる力もあるよ。まあ、祓うための能動的な出力には訓練が必要だけどね」
「ふぅん、あんま実感ないけど……でも確かに呪霊ぽいのは見える。感じとる、てのはよくわかんないけど」
「じゃあわかりやすくしてあげるよ」
僕は悠仁に実演という名目で濃密な呪力を体の周りに軽く放出してあげた。並みの術師、呪詛師なら圧倒的なプレッシャーを伴うそれに耐えきれなくて逃げ出すか負けを認める。そんな意図を込めたものを。
悠仁も例に漏れなかったらしい。僕の呪力を察知した瞬間、ばっと飛びのいて座席の窓側にぴったりと背中を貼りつけるようになってしまった。全身の毛を逆立てるみたいに肩をいからせて、浅く息をしている。額に汗がにじんで顔色は青かった。本能的な恐怖だ。
「あは、野良猫ちゃんみたい」
「な、なにしたん?」
「僕の呪力わかりやすくしてあげたの。最強だから、強く感じたでしょ?」
「つ、強くってか、こえーよ……。俺死ぬかと思った。特にその手? なんかヤバすぎる」
「へえ、……彼我の力量差が分かるだけでもたいしたもんよ。悠仁、仙台では野山をかけて熊とか狩ってたりした? 野生の勘が強い感じがするし」
印を結ぶ真似だけをした手をプラプラと遊ばせてから呪力を消す。別に術式を使ったわけでもないのに、何が危険か分かるのは真面目に凄い直感力だと思う。
「ええ、馬鹿にしてんの? 野生とか知らねえし。……あ、呪力消えた?」
「うん」
「あ、ホッとする~。もとの五条先生だわ」
悠仁は一転、安堵に顔を緩ませてあっさりと席に座りなおした。切り替え早いな。
「今度は家猫みたいだね。よしよーし怖くないよー」
「からかわねえでって」
さすがにぶすっとし始めた悠仁に、僕もあまり弄るのをやめた。けれど、それはそれとして悠仁は、そのまま僕の隣で肩から力を抜いた。「なんか気が抜けたら眠くなってきた」なんて言って、ふあ、とあくびをしつつ。
「……嘘でしょ、さっきの今でそこまで気が抜ける?」
僕はちょっと唖然としてしまった。
僕のプレッシャーはかなりきついはずだ。プロの術師ですら、トラウマ気味になるやつが出るくらいにはヤバいと評判が高い。なんでそんなものを悠仁に浴びせたのか、と言えば、簡単な話で。僕は呪術界の洗礼のつもりだった。これで脅えて挫けるなら向いてない。でも、ある程度覚悟は持って欲しいから、歯を食いしばって耐えてねってなもんで。
悠仁が僕の呪力に慄くのはまあ想定内だった。だけど、その後の反応に関してはちょっと僕の想像を超えて来た。
悠仁はリラックスしたまま僕をちょっと非難するような目で見て来た。
「いや、あのさあ、先生は知らねえかもしれんけどね? 俺にとってはこの数日まじで激動だったんだよ。じいちゃん死んで、宿儺の指って奴飲んで、死刑が決まって東京へ引っ越しで。まあ、さすがにちょっと大変で、それなりに疲れてんの」
「う、うん」
事情はおよそ知ってるし、大変さはちょっとどころじゃなくない? とは思ったけど言わなかった。
「駅弁美味くてお腹いっぱいにもなったしさ、窓際でぽかぽかだしさあ。眠くなる条件整いすぎてるんだわ」
「それは……そうね。えーと、じゃ、寝てもいいよ。東京着いてから説明はするし」
「いや、それは……え、いいの?」
「うん」
僕が頷けば、悠仁は即座に顔を明るくした。「寝ます」そう言って、本当に。悠仁はあっさり寝た。
僕の横でくうくうと。
ええ。やっぱ猫かな? いや猫でも一度怖がった相手の横では眠らないでしょ。てか、こんな無防備に横で寝られたの初めてなんだけど。僕の横だよ? 普通はさあ……いや、普通でもないのか。なんだっけ。イカレてる面白い子?
僕はそうして感心とともに、悠仁への興味を深めていった。
新幹線ではタブレットで書類仕事をさばきながら、結構な頻度で悠仁を観察してたかな。悠仁の寝相は思ったよりも良くて、残念ながら僕に寄りかかったりはしなかった。
悠仁がかわいいと思い始めたのは、一年生に初任務を与えた後。
ビルの廃屋で呪霊を祓うついでに助けた小さな子供は、悠仁に良く懐いていた。
悠仁も、子供をとても上手くあやしていた。聞けば兄弟なんていない一人っ子だっていうのに、恵や野薔薇よりもよほど扱いがうまい。いや、生来、人に好かれやすい質なのかもしれない。
僕は、子供を任せるための補助監督らが現場に到着するのを待つ間、遠目からじゃれる悠仁と子供の様子を眺めた。
「はー、見てよ恵、悠仁が子供あやしてる。幼児とか、僕には未知の世界」
「五条先生は、でしょうね」
石の置物に腰かけていた僕の横で恵も悠仁を見つめてしれっと呟く。
「言ってっけど、恵は悠仁みたいにできんのお?」
「……高専で、子供笑わせられんのは、虎杖とパンダ先輩だけですよ」
「いえてるねえ、はは。野薔薇も省かれてやんの」
「私は、気安く近よりがたいイイ女目指してんのよ! パンダってなに?」
ちょこっと子供と遊んだものの、距離感が分からなくて僕らの方に寄ってきた野薔薇がほえた。相変わらず悠仁は子供を肩車なんかしてはしゃがせている。ちょっと前は、しゃがんで子供の好きなカードゲームの話を聞いてやっていた。
「……まー、もしかすると悠仁はある意味誰より大人かもしんないねぇ」
「……そうですか? 良い奴であるのは確かですけど、アイツバカですよ」
「そうよ、ふっつーに田舎臭いガキにしか見えないけど」
「バカやれるのと、老成するのは同時に成り立つんじゃない? 悠仁はガキだけど大人の部分もあるよ」
たぶんあの年頃の僕よりも。僕はこっそりそう思った。
悠仁は苦しい環境でも自分のことだけでいっぱいにならず、人を気遣って優しくできる力がある。昔の僕が悠仁を見たらどう思うんだろう。もしかしたら、傑に対してよりもカルチャーショックがあったかもしれない。そして、傑との間にあった苦い関係は悠仁とならば起こりえなかっただろう。いや、そんな仮定、馬鹿馬鹿しいか。
僕の説明に恵も野薔薇も分からなそうな顔をする。それを笑って流しておいた。
あの子はまだ十五歳の子供だ。なのに立派に一人で立っていた。いまだに、祖父が死んでしまったことで精神を崩す様子も、自分がやがて死刑であることに実感が出てから脅えて逃げるような真似もしてない。悠仁はたぶん、とても孤独に強いんだって分かった。寂しがりだと公言しているのに、誰にも寄りかからず生きてる。環境がそうさせたんだろうな、というのは理解できた。
一方で、確かに幼い部分もあって。無知であり無邪気でもある。年若い健康的な少年だ。だからこそ落差をひどく感じる。
僕がじっと悠仁を眺める様子が、優しく見守ってる顔にでも見えたんだろうか。恵がおもむろに尋ねて来た。
「五条先生でも、ちょっとは子供が可愛く見えるんですか?」
「いや全然、知んない子供だし」
恵は顰め面で閉口した。
だって仕方ないじゃん。本当のことだし。
でも、小さな子をあやしてる悠仁はかわいいと思った。
駆け足で老成した子供が、かわいそうで可愛くて、なんだかずっと見ていられた。
「おっ、五条先生!」
七月に入ったころ、高専の裏手を歩く僕と伊地知のもとに悠仁が飛び込んできた。
「悠仁じゃん。なにやってんの、息せき切って」
「釘崎と伏黒と俺で訓練兼ねたかくれ追いかけっこ。伏黒は玉犬を一匹使えっから釘崎あっという間につかまっちゃってさあ。俺も捕まると、伏黒の圧勝ってことでおごり決定なんだわ。つうか俺もさすがに疲れた」
「まあー、玉犬ごときで、なさけないねえ~」
「それ釘崎と伏黒と俺がキレる奴~」
「全員じゃん」
僕の突込みに悠仁はわは、と笑った。
なるほどねえ。一年生たちには体術訓練カリキュラムはまだ与えてないけれど、もうそろそろ用意しようとは思っていたところだ。それも少し早めた方がいいかもね、と思った。元気が有り余ってるみたいだし。できれば二年生たちに引き合わせての合同授業を一発目にしたいんだけど。
「こっちか?」と校舎の角向こうから恵の声が聞こえる。ウォオーンという玉犬の遠吠えも。
「わっ、きた。ぐあー、あーもー、玉犬の鼻から逃げんの難しいって……、あ、せんせ上着かして!」
こりゃ捕まるな、と思ったところで、悠仁はなにやらひらめいたという顔で僕を見た。僕もだけど、隣の伊地知もえって顔になった。
「え、悠仁もしかして、……まさかだけど、この僕を、お、追剥ぃ~」
「ごめん!」
僕が無限を使えるってことすら知らなそうな悠仁は、がばっと僕の術服の前身に手をかけて手早くファスナーを下ろした。そうして上着を強引に引きはがし、自分の頭からかぶって、樹木の多い茂みの方にしゃがみこんだ。
「一応聞くけど?」
「先生の呪力の残滓でかく乱。あと匂いけしも?」
三十路間近な僕にとっては体臭の話題なんてセンシティブなんだけれど。僕は、その時、ええ、かわいいな、と衝撃を受けてた気がする。僕の服かぶって僕の後ろで丸まってる悠仁が、まあやけに可愛かった。
僕は感心して悠仁を眺めて、伊地知はそんな僕を怪訝な眼で眺めていた。
結局、悠仁はやってきた玉犬に後ろからつつかれていた。恵もやってきて悠仁を捕まえて隠れ追いかけっこはあっさり終わり。
「なんだお前その服、先生から借りたのか?」
「黒子。叢だし、前に遮蔽物あるし隠れやすいかと思って」
「……五条先生遮蔽物にすんのお前くらいだぞ」
「えっ……そう?」
僕もそう思うよ。
と言っても良かったけど、言ったら悠仁が今後同じことをしてくれなくなりそうなので僕は大人しく口をつぐんだ。
――――あっさり悠仁は死んだ。
僕の手にかかる前に。僕の手が届かない場所で。
「は?」
『いえ、ですから。その虎杖くんが、任務先で死……』
「はぁあー?」
『す、すみませんん!』
「あー……、いや、……うん。話はちゃんと聞くよ。言って、伊地知」
ぼんやりとつぶやいた。
聞きたくなかったけど、悠仁が死亡したという確かな報告を、結局繰り返し耳になじませることとなった。
僕が国外出張から戻ってきた時には、すでに悠仁は死体となっていた。昨日の出来事だった。空港に到着と同時に受けた電話越しにも、今から僕が駆けつけてももう遅いのは理解できた。
「マジかあ……」
最近の僕は呪術界の未来まじで明るそうじゃん、なんて心が浮きたってわけなんだけど。一発で地の底に落とされた。
まあよくある話なんだけど。
よくある話。
昨年の百鬼夜行でも術師は死んだし、親友も死んだし。殺したのは僕……。僕の教え子も今までに何人生き残ってるかなって感じの世界が呪術界ってものだ。
だから、今回はそれが悠仁だっただけ。しゃあない。最強じゃないんだから。僕じゃないんだから。
本当に仕方ねえのかよ?
「くそだな」
僕は吐き捨てた。
いつもなら十秒目を閉じたら次には切り替えてる僕が、この時は引きずった。
変に遠回りをしてのろのろと歩きながら死体置き場まで向かった。足を進める途中でああこれ上層部の差し金だわと気づき、さらにクソな気分が増す。台に土気色で横たわる悠仁を見た瞬間は最悪だった。
あーあ。
ひでえなもう。なんで悠仁死んだんだろ。これからも僕は理想の呪術界のためにコツコツ後進を育てるわけなんだけどさあ。そこにはもう悠仁いないんでしょ。あーあ。
もう。本当にさ。まじでこんなことなら。上の連中全員。
なぜかひえっと、伊地知が震えた。
硝子に言われて、自分がすごい短絡的な発言をしたことに気づいた。ていうか、今口に出してた? 僕。
自分があんまり平常じゃないなとは思った。硝子にも伊地知にも、ぺらぺらと普段言わないようなことを喋った気がするが内容はよく覚えてない。嘘は言ってないとは思うけど。
覚えてるのは、ちゃんと悠仁の体を役立てるようにねって硝子に念押ししたことくらいかな。人助けをしたかった子供だ。その意は組んでやりたい。
バラした後の悠仁の遺体をどうするか。僕が持って帰っていいかな、なんて思った。ちゃんと最後は僕の呪力で焼くから。
親友は墓の下に埋めてやったけど、器になりうる悠仁は墓に入れる骨も残らない。あの子の祖父と同じ場所にはいけない。……だから、やっぱり、僕が一部持ってちゃダメかな。ダメだろうけど、内緒で持ってっちゃおうかな。良いでしょ。少しくらい。だって、生きてる悠仁を僕から奪ったんだから。
ぐるぐるとした思考は唐突に終わった。
悠仁が生き返ったから。
まじ。
生き返ったじゃん。
悠仁いるじゃん。声、聞こえる。悠仁の声ってかわいかったんだなあ。生きてるから聞けるじゃん。
ははっ、上の連中見てるー? 悠仁生きてっから。
僕は笑いがこみあげてきて仕方がなかった。
ああ、そっか。そうだよ。生きてるっていいね。
「おかえり!」
もうこうなったら、絶対に、絶対に、悠仁は死なせない。決めた。そうしよう。
僕は生まれて初めて希望という言葉を実感した。
地下室で僕は、何くれとなく悠仁の面倒を見た。
特級術師としての僕の忙しさを考えたら異常なほど、悠仁のことを見に行き、悠仁に時間を使った。
「五条虎杖のところに日参してんの? ひな鳥にご飯運ぶ親みたい。ちょっと想像したらキショいな」
硝子には勝手に想像されてひどい言われようだ。でも僕にはそう言われたからといって、自分の行動がどうかなんて省みる気はなかった。
「だって僕悠仁に最強教えてって頼まれちゃってるもーん」
「ははキッショ」
重ねて言われてしまった。
だって、悠仁は打てば響く。スポンジのように吸収するし、戦闘時の頭の回転も悪くない。身体能力に技術が乗ればどれだけ跳ね上がるか分からない。
悠仁を育てるのは楽しかった。
だから、手をかける。丁寧に手をかける。
七海に悠仁を任せたのもそのひとつ。他の呪術師を見せるのも教育に良いだろうと思ったし。あとは、七海に悠仁の庇護させたかった。僕がいない時に、二度とあの子が殺されないように。
目論見はそこそこうまくいって、七海は悠仁に目をかけるようになってくれた。
二人があたった任務が思ったよりもでかくてキツイものだったというのは僕の予想外だったけれど、それでも悠仁は成長し、七海との信頼関係が作られた。
それは良い。いやよくない。
僕は、後でちょっと失敗したなと思った。
「ナナミン」
ナナミンだと。
はー。ナナミン。
ショックは大きく深かった。マリアナ海溝より。硝子にまで「その顔笑える」と揶揄されるほどだ。だって仕方ねえだろ。僕はたまりかねて地下室で悠仁に問い詰めるみたいに聞いていた。
「なんでナナミンなの?」
「先生って呼ぶなって言われたから……流れで」
「流れで」
「や、だってさあ、最初ちょっと固い感じだったからくだけた方がいっかなーって……」
悠仁が困った顔で頭を掻く。
「すげえな」と僕は言った。そこでナナミンに行けちゃうのがさあ。「え、そう」と悠仁が首をかしげた。
「うん。僕が七海にそんな風にくだけたら、マジでキレられるよ」
「それは……先生なにやったん?」
そこで僕に疑いがかかると言うのが、七海と僕の信用力の差という感じで、真面目にショックではあった。僕のが先に悠仁に会ってんのに。
焦って悠仁に問いかけたくもなる。
「じゃ、じゃあ僕にもくだけてみる?」
「えっ、当たって、砕けろ……てきな?」
「なんでだよ」
そっちじゃねえよ。なんでそうなんだよ。僕にもあだ名つけないのって話だろ。
不満げな僕の顔を悠仁は何とも言えない顔で見ていた。本来きつめの顔立ちなのに、喋るたびに人の善さがにじんで来る不思議な特性を持っている悠仁は可愛げに眉を下げて言う。
「五条先生はさあ。五条先生じゃん」
「んぎぃい……」
悔しさに唸る僕の横から「ハハ、聞いたか伊地知、五条の鳴き声ってあんなんだぞ。初めて聞いた」「こ、こっちに注意を向けないでください家入さん!」と声が飛ぶ。うるせえなぁ外野。もう悠仁の健康診断終わったんだから地下室から出てっていいよ?
「いやあなんていうか」
少し考えこんだ後、照れ臭そうに悠仁は言った。釣り目がちな目元を優しく細める。
「俺にとって五条先生は特別って言うか」
「特別」
「うん。あんま笑わんで聞いてね……。呪術の初めての先生だし、強いし、俺にとってもう先生の代表格みたいなもんなの」
「代表格」
「だから五条先生はきちんと呼びたいって言うか。五条先生の名前で呼びたいって言うか」
「あ、ふぅん」
……そんなん言われたら、許すほかないだろ。
僕の気分は秒で舞い上がって、七海がナナミンであることを認めた。僕は一生五条先生呼びでもいいかなと思った。
「見ろ伊地知、あれが三十路の男を手玉に取る十五歳だ。末恐ろしいな」
硝子の囁き声がまた聞こえてきた。
いや本当にな。
思えばこの時にはすでに察して余りある状態だった。
僕の気持ちは飽和して、外に向けてもあからさまにぼろぼろとこぼれていた。実際に硝子には後々、「無意識の嫉妬がすげー醜くて笑った」と言われた。ぐうの音も出ない。
けれど、本当に僕がこの気持ちに自覚的になったのは、それよりもう少し後だ。
鍋の食材を買ってきた伊地知に悠仁が言った。
「あっ、伊地知さんおかえりー! 材料ありがとね。量多くて大変だったでしょ」
伊地知は「いいえ、お気遣いなく」なんて言いつつ両手にスーパーの袋を抱えて地下室に足を踏み入れていた。受け取りに悠仁が駆け寄る。
これから悠仁手製の晩飯を食べていく予定の僕は、それをソファの背もたれに肘をついたまま眺めていた。
おかえりと言っているのを見て、とっさにいいなあと思った。
おかえり。おかえりだって。
僕こそがおかえりって言ってほしい。この子におかえりって言ってほしいな。なんて。
強く思った。
僕の方からだって、おかえりと言いたい。てか前も言ったな。生き返った悠仁に僕はおかえり、と言い、悠仁は僕にただいまって言ったんだった。あれもよかったな。
あれ、ずっとやりたい。
パチパチと急にシナプスが繫がっていく。
つまり、悠仁のもとに僕の帰る場所があってほしいんだ。席を作ってほしい。この子の傍に。虎杖悠仁の中に。
挨拶を言い合うなんてなんか新婚さんごっこみたいだなとも思ったけど、それもいいなと改めて思う。永遠にやりたいな。ごっこじゃなくてもいい。夫婦? とかになれたなら、悠仁は法的にも僕の隣が確定するわけでしょ。なにそれ最高じゃん。現行法ではできねえけど。でもずっと一緒ってのは夢がありすぎる。
「……ああ、そっか」
なるほどなあ、と思う。僕はそうしたかったんだ。そうじゃん。僕、悠仁好きじゃん。
天啓ってこういうことか。僕はかつてないほどキラキラと目を輝かせながらも、それをアイマスクの下に秘めて、鍋の用意をする悠仁をひたすら見つめていた。
僕が恋を自覚した瞬間だった。
……まあ同時に悠仁への性欲も自覚したんだけどね。
好きな子と今まですごい美味しいシチュエーションで過ごしてたな、と思い返した瞬間下半身が反応したので、一発だった。めちゃくちゃ興奮してたけれど、さすがに場所が場所で伊地知もいたし、この後鍋だし、で、あの時、悠仁たちにバレなくて良かったと真面目に思っている。
なんか格好がつかないから、今でも悠仁に好きだと気づいたときのこと言えてないんだよね。
悠仁を好きだということは、きっかけがそれだっただけで、たぶんあの瞬間じゃなくても、いずれは気づいたんだろう。僕の中には十分すぎる芽が育ってたんだから。なんならもっと早く気づいてもよかったなあとは思っている。
はー、僕って鈍感だったんだな。
今になって、そうこっそりと嘆息してしまう。二十九年目の真実だ。思えば初恋らしい初恋も今までにしてないし、なにもかも悠仁がはじめての感情なので仕方ないといえばそう。だとしてもこの年の差で鈍感野郎とか恥ずかしいから、付き合った現在も、悠仁にはそこら辺はまだ内緒にしてる。
まったく。あそこで気づかなかったら、どこまで無自覚で行ったんだろう。
死ぬまで気づかないってことはないとは思うけど。多分。いや、あるか? ……もしかしたらそういう未来も分岐としてはあったかもね。
でも、きっと気づいてなくても僕は無意識で悠仁を愛してたんじゃないかと思う。
恋だと知らなくても、あの子への甘酸っぱい思いを胸に膨らませて、君は特別ですごいんだよって、ことあるごとに全身で訴えまくってるんじゃないかな。
決戦の前には恥ずかしい告白まがいのこともしたのかもしれない。期待だなんて言葉をかぶせて。僕ならやりそう。
で、きっと来世も君の隣へ座れればいいなあ、なんて思って、こっそりと呪ったりもしていただろうね。その場合、死んだあと気づくのかな?
「っ、はは……」
しかたねえなあ。鈍感な僕。
いるかもわからない、別の僕。
次の機会があればもっと早いとこ悠仁を手に入れて、もっとうまくやんなよ。
転生したら。あるいは、なんらかの分岐で僕が死ななかったとしたら。
可愛いあの子を一人で未来に残してなんていかないように、したいんだから。
そんな愚にもつかないことを考えつつ、宿儺に真っ二つにされた僕の身体は、最期の瞬間、澄み渡った青空を見つめた。
◇
「先生聞きたいんだけど」
「んー?」
「俺たち付き合ってるじゃん」
「そーね」
「いつ俺を好きになったの?」
俺は満を持して五条先生に尋ねた。
奇跡的に、なんだろうか。時戻り後の先生は、なんとまた俺を好きになってくれたようだった。
二回もミラクルが起きるとは思わなかった俺は大いに驚いた。さすが最強てことなんだろうか。いや、この場合凄いのは俺か?
驚いて、そしてぐわっと喜びが思わず沸き上がったものの、死んでしまった先生を胸に生きると決め込んでいた俺は大いに混乱した。混乱する俺に先生は「その感じならいける。付き合おう」と押し切ってきて。前にもあったな、こんな感じ。……そして俺は押し切られてしまった。
いや、葛藤はあった。前の先生とのことを無かったことにしたくないというのもあったし、やり直しでそんな風に幸せになるのは許されるんだろうかとか。前の先生と今の先生は違う人間なんじゃないか、とか。結局、そこら辺はまだぐずぐず俺の胸にわだかまっているものの、一つだけ確かなことはあって。俺は今の先生にもしっかり恋をしてしまっていた。好きな以上、好きな人を突っぱねるのは難しい。
俺は先生と再び恋人になった。
まあ、まだ時戻り前に先生と付き合ってた話はしてないんだけど。なんか言い辛くて。
そんで、俺の方は、やっぱりいつどこで先生のスイッチが入ったのかはさっぱりわからなかった。今回は、地下室を出るまで先生の態度はほとんど変わりなかったんだよなあ。
俺が、呪具と術式の影響で時戻りをしたこと、その上で知っているこれから先に起こりうることを五条先生や学長たちに告げたことで、未来は大きく変わった。俺の言葉を先生たちが信じてくれたのが大きかったとは思う。なんやかんや羂索や特級呪霊。それに関わるもろもろの事件は起きる前に抑えこむことができて、俺が地下室を出るころにはすべて世はこともなし、といった感じになっていた。一応まだ宿儺は俺の中にいるけれど、不貞腐れてずっと沈黙している。
そして、交流会に向けて復活をした途端、俺は先生に告白された。
なんでよ? 先生は、俺を好きになったの超偶然つってたじゃん。なのになんでまた同じ流れになるんだよ。
理由が今度こそ知りたい。気になりすぎるだろ。
というわけで俺は再びこの質問をしたわけだ。再びって言っても、今の先生にとっては初めての話なんだけど。
先生は前と同じ回答だった。俺の部屋で、俺を抱きしめて、目を細めると首を横に振る。
「……ん-、秘密ー」
「もーなんでだよ、けち」
「わ、膨れてんのも可愛いね、結婚する?」
「うん。するから教えて」
俺にとっては嫌なことなんてないのだし、それは駆け引きになんないだろ。そう思って頷けば、先生はぐっ、と唸って胸を押さえた。「……悠仁、強くない?」そらね。二回目だから。
先生は、うーん、と少し考える様子を見せた後、「結婚はしたいけど」と前置きしてやっぱり首を横に振った。いや結婚は現行法ではできねえよ?
「僕が恥ずかしいからまだ内緒」
ちょっと頬を染めて、えへへ、と照れたように笑った顔で先生は告げた。それがすげえ可愛かったので、俺は思わず黙ってしまった。三十路でそれはずるくはないだろうか。
「まあすんごい偶然の瞬間でさあ」
「うん」
「特にスリルもショックもサスペンスもないし、ロマンチックな状況でもないね。たぶん、悠仁はわかんないよ。覚えてもいないかも」
「あーはいはい」
「なんか雑な返事じゃない?」
そりゃ雑にもなるだろ、と思いつつも俺はあきらめ気味に続きを促した。好きな人の話だから聞くけど、きっとこの先の言い分も前と同じなんだろうな、と思ったから。知ってるよ。奇跡的な、なんかあれなんでしょ?
でも、違った。
「ただ好きになったのは必然だと思うなー」
「……え、なんで?」
「悠仁、前も僕と付き合ってたろ」
「!」
そういうことだよ。
んぐ、と息を呑んだ俺の前で、先生はそう言って自信ありげに笑った。
end





























