「ごめんね、伊作。せっかくの休みなのに付き合ってもらっちゃって」
ある日の昼下がり、鬼ババ軒でゴリゴリと薬研で薬を潰す音が流れる。開いたら戸からそよいでくる風が室内を一周し、薬草の香りを外に運んでいくのを鼻で感じながら刷った炭に筆を浸した。
「気にしないでください。どうせ家に帰っても薬草を取りに行ってるだけですから。こうしてお姉様のお供をさせていただくことができて嬉しいです」
「それにしても知らなかった。伊作って雑渡さんと仲良かったんだね」
1週間前、タソガレドキ城の忍組頭である雑渡さんのお願いにより、タソコミ参戦を決め込んだ。条件として忍たまの上級生であり、雑渡さんと仲が良い伊作が同行してくれることとなった。
快くオッケーしてくれた伊作だが、休み中は忍たま長屋が閉まってしまうとのことなので、タソガレドキに行くまでは鬼ババ軒に泊まることとなっている。最初はすごく拒否していたし、なんなら野宿決め込むと言われたがこちらとしては同行してくれる身なのに野宿はさせられない。10個も下の子どもに手は出さないからと伝えたが、それはそれで複雑そうな顔をされたのは記憶に新しい。君は未来であればまだ小児科の領域なんだよ。
「前にいろいろありまして。それからお世話になってるんです」
「へぇ。あの人結構偉い人だよね。全然そんな風に見えないけど」
偉い人はもうちょっと大人の対応をとってくれるものかと。フランダースの犬とハチ公と枝売りの少女と戯れる自分のイラストをごねにごねて描かせた奴はベストオブ大人気ない大人である。
時間はあっという間に夕方だ。タソガレドキの迎えは明朝である。早めに夕飯を済ませ、明日に備えて布団に入るのもいいかもしれない。伊作も薬の調合を終わらせ、夕飯の準備に取り掛かる。調合したものを保健室に置いて帰ってきたときの全身の怪我はもはや不運のお約束だ。
年上の女の家に泊まることで最初の方は緊張気味だったものの、こんな時間にもなれば慣れたのかテキパキと準備を進めていく伊作が煮立つ鍋の前にとあるものを掲げてきた。
「お姉様、これ少し入れてみてもよろしいですか?」
「いいよ、と言いたいところだがそれは何かね?私達に害がないものだよね?」
「ちょっと試してみたくて」
黒っぽい緑の植物の見た目はちょっと信用できない。なんなら腐ってると言われてもおかしくない見た目をしてるもの。
「何を試されるの?明日に支障ないよね!?」
「スリルゥ〜〜」
「そうそうスリルは求めてないの。安心安全に夕飯を終えようよ」
「えぇ〜…絶対体にいいのに」
「サスペンスゥ〜〜」
「夕飯にサスペンスはいらないの。そういうのは恋愛絡みだけでいいの。恋はスリル・ショック・サスペンスっていうじゃん」
「ショックもあるんですか〜〜スリル満点〜〜」
ここで伊作との間に沈黙が宿る。
ここには彼と自分2人しかいないはずだ。だというのに会話に混じっている間延びした声。顔を見合わせ、そろりと目線を下にやった。
「すごいスリルの気配です〜〜」
竈門の火に照らされた暗い顔に宿る輝くほどの好奇心。一生懸命こちらを見上げているその小さな体に伊作と2人して飛び上がった。
「伏木蔵!?」
「まだ帰ってなかったの!?もう夕方なんだけど、今までどこにいたの!?」
大抵の生徒達は今日の午前に門を出ていたはずだ。午後は学園内に当番の教師くらいしかいなかったのに、この子は今までどこに潜んでいたというのか。
「忍たま長屋の軒下にいました〜」
「何でそんなところにっ…いや、そんなことよりどうしてまだ帰っていないんだい?」
今頃、伏木蔵だって家に帰っているはずだ。忘れ物を取りに来たかと思ったがこの様子だと朝から軒の下にいたであろう。
伊作の問いに伏木蔵は不気味さを含めた子ども特有の笑顔を見せた。
「ちょうど1週間前に、伊作先輩が鬼姉様と粉もんさんのところに行くお話を噂で聞きまして〜。スリルの予感がしたので内緒で着いていこうと思ったんですぅ〜」
スリルを求めて着いてくる気満々だったらしい。だけど流石に軒の下で夜を明かすのは寒いからこうして2人の前に出てきたとのこと。この暗い中、下級生を1人外に締め出すことはないだろうと思って長屋に入ってきたのだと。案外肝が座っているじゃないの、この子。
「ああぁ〜〜まさか伏木蔵が残ってたなんて……雑渡さん何て言うだろうか……」
「怒りゃしないでしょ。明日聞いてみてダメだったら帰って貰えば?」
「家には帰らないって手紙送っておいたので帰れないですぅ〜」
「こっちの退路塞いでくるんじゃないよ。度胸ありすぎでしょ」
とはいえ、これ以上問答しても仕方ないので今日は3人で夜を明かすことにした。布団は2枚しかないので伏木蔵は伊作と2人で寝ることとなる。当番の教師には明日の朝報告し、その後にタソガレドキだ。
夕飯はこの時代に来て誰かと食べるのは初めてなので、久々の楽しい夕食を終えたら寝る準備を始める。そこで伏木蔵が鬼姉様と目をキラキラにさせながら見上げてきた。
「ぼくも紙芝居見てみたいですぅ」
「見せたことないっけ?いいよ。寝物語として一個やろっか。どんなのがいい?」
「スリルのあるやつで〜」
「スリルかぁ。……結構怖いのならあるけど平気?」
未発表の紙芝居が置いてある押入れを探りながら、伏木蔵の気に入りそうなものを物色していく。後ろから「あの、あまり怖くないので……」と伊作のか細い声が投げられたが気にしないことにする。きっと八左ヱ門の青褪めた顔を思い出しているのだろう。
カマキリの卵事件は当たり前に学園中に周知された。
大人数で鬼ババ軒を掃除している間、忍たま長屋で吊し上げた事件の犯人である八左ヱ門にとある読み聞かせをしてやった。
『ついてくる』という絵本をご存知だろうか。ヒタヒタと誰かが着いてくる何とも言えない不気味さが売りの絵本である。夕方から夜になる黄昏時の言葉にできないゾッとする感覚を天井から吊し上げられた八左ヱ門に1人読み聞かせてやった。その結果、見事に血の気が失せた八左ヱ門。解放された後はさぶちゃんとか勘右衛門に引っ付いて離れないところを何度か見かけた。多分、今日の帰りもビクビクしながら帰っていったことだろう。休みが明けたら『かわいそうなぞう』も聴かせてやろうかと思ってる。
「よし、伏木蔵のリクエストに答えてこれにしよう。───『かがみのなか』」
紙芝居終了後、恥じらいを捨てて布団はぴっちりくっつけられたし、伊作は朝まで伏木蔵を抱き抱えたまま離さなかった。
翌日、スッキリした朝を迎え、門の前でタソガレドキの迎えを待つ。
休みの間の学園の警備担当の先生に伏木蔵のことを伝えれば案の定頭を抱えられた。まさか着いてくるために半日軒の下にいるとは思わないだろう。伏木蔵はこう見えて結構頑固らしく、意地でも帰ろうとせずお手上げ状態だ。
「留三郎が聞いたら言いそうだ。『その手があったか!』って」
「お留ちゃんも来たかったの?」
「『曲者の城に2人だけで行くなんて危ないだろう!』って憤ってましたよ。留三郎も着いてきたがってましたけど、生憎帰ってやらねばならないことがあるからと断念してました」
「心配性だねぇ」
メタモルフォーゼした日からそれとなく話す仲になったお留ちゃんだが、カマキリ事件を境により話しかけてくれるようになった。最近は外出したときに練り切りなどのお土産も買ってきてくれる。ありゃ将来もっといい男になる。断言してあげる。
「土井センもなぁ、留守番する子どもを残す母ちゃんみたいにやたら色々言ってきてたな」
「アハハ。お姉さんが小言言われてるとき、僕の方に矢羽音を飛ばしてきたくらいですからね」
「矢羽音?」
「矢羽音とは!」
夢ならばどれほどよかったでしょう。
何もなかったはずの空間からバリッと音がし、壁紙が剥がれるように宙の景色が破れて噂の人物が顔を出した。現実ではあり得ないはずの現象に思考を止めて破れた空間を凝視する。隣では伊作が「あ、土井先生」と慣れたように見上げているがこの学園ではそれが普通なのだろうか。これも忍術なのか。初めて見た、ちゃんとした忍術ってやつ。というかこれは忍術なんですか?
顔を出した土井センが矢羽音とは忍者同士の暗号がなんたらみたいな説明をしているが、そんなことよりもペロンと項垂れている破れた壁紙のような空間が気になり摘んで軽く振ってみる。すごい、ちゃんと触れる。どんな原理なんだ、これ。
「伊作、ここ直しておいてくれ」
空間ってテープで直せるもんだったの?
ちょっと理解の範疇を越える出来事だったが、それ以上に好奇心が勝っていた。伊作が直そうとするも不運で何故か体中にテープが貼り付いてしまった隙に穴が空いた空間の縁に手を掛けて中を覗いた。
「何それ土井センどうやるの!私もやりたい!」
「身を乗り出すな!危ないだろう!」
「うっそ、全然違うところに繋がってる!タクシーいらずじゃんか!」
こちらは外なのに穴の向こうは室内。なんてことだ、未来よりも技術が進歩してるぞ。
多分だが向こうは土井センの家だ。勝手口付近できり丸が掃除していたので呼びかけてみれば、表情をパアッと明るくしたきり丸が駆け寄ってくる。
「お姉さんじゃん!何してるんすか?」
「急に土井センが空間破ってきたからちょっと覗いてみた」
「ほぉら、伊作が直そうとしてるから顔を引っ込めなさい」
「はいはい。先生みたいなこと言われちった」
「先生だもん」
ついていた頬杖をやめて少し離れる。縁に肘を掛けていた土井センも伊作に一言礼を言ってから一歩下がっていった。伊作と伏木蔵に倣っていそいそと破れた空間をテープで直していたところで隙間から土井センが声を投げ入れてきた。
「この後タソガレドキだろう?くれぐれも迷惑をかけるんじゃないぞ」
「はい出た土井センの母ちゃんモード。心配しなくても大人なんだからその場にあった対応くらいするわい。そっちこそ変な女引っ掛けてきり丸に迷惑かけんじゃないぞー」
「誰が引っ掛けるか!大体何故そこに伏木蔵がいるん……」
ペタン。
これ以上喧しい小言は聞きたくないので、すぐさま最後の隙間を埋めてやった。
空間にいくつかテープが貼られているのに違和感を覚えながらも迎えを待っていると、ものの数分くらいで雑渡さん達が到着した。
「あれまぁ、伏木蔵くんまでいるの?」
「粉もんさ〜ん」
「すみません、僕達がタソガレドキに行くのを聞きつけて隠れていたみたいで……」
両手を広げて飛び込む伏木蔵を受け止めた雑渡さんは右目を丸くして「すごいね伏木蔵くん」と感心している。
そこから伏木蔵をどうするか、当直の先生と雑渡さん達と伊作で話し合いが始まる。鬼ババはハナから参加の権利はないらしい。向こうで伏木蔵と遊んでてと言われて蚊帳の外だ。仕方ないので伏木蔵に強請られて地面に可愛いお化けの絵でも描いていたら早くも呼ばれた。
「1人くらい大丈夫ということで、伏木蔵くんも連れていきます」
「やったぁ〜〜」
「いいの?上の方に怒られない?」
「私が上の人だから大丈夫。殿にもそれとなく言っておくから」
そうでした、この人それなりに上の人でした。雑渡さんの後ろで額を抑えているナイスミドルがいることから多分常日頃から部下を振り回しているんだろうな。お疲れ様です、部下の人。
「お初にお目にかかります。タソガレドキ忍軍、狼隊が小頭、山本陣内と申します」
「これはこれはどうもご丁寧に。今回はお世話になります」
「こちらこそ、姫と組頭の我儘に付き合っていただいて感謝しかございません」
ああ、姫だけじゃなくて雑渡さんも一枚噛んでいたわけだ。山本さんから苦労が滲み出ているのが感じられる。それなりにほっこりするお話持ってきたから、どうかそれで癒されればいいな。
そんなこんなでタソガレドキへと出発だ。てっきり歩いていくもんだと思っていたが、何故か山本さんが「背中に乗ってください」と前でしゃがみ始めた。
「君の足じゃ一カ月はかかるから、私達が背中に乗せていくよ」
「それは合法的に忍者気分を味わえるということですか??」
「そーだね」
「わっほい!山本さんよろしくお願いします!」
こっちに合わせたら確かに時間はすごいかかるに違いない。本当のことなので怒ることも反論することもしないが、何より本物の忍者に背負って走ってもらえることの方が嬉しかった。しかも山本さんはプロ中のプロだろうし、険しい道を走ろうとも安全が約束されているといってもいい。
年甲斐もなくはしゃいで山本さんの背中にお邪魔する。
「それじゃあ、行きます。しっかり掴まっててくださいね」
背中になって忍者体験をした感想は富士急のドドンパかと思った、の一言だった。
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途中何度意識を飛ばしたことか。
気づけば、雑渡さん達が所属するタソガレドキ城へと辿り着いた。
山本さんのがっしりした背中から降ろされるも、まだ足に力が入らないのかよろついたが近くにいた伊作が支えてくれる。伊作はわかるが、伏木蔵でさえしっかり立っていることに鍛え方の違いを見せつけられた。いいんです、こちとら数ヶ月前までインドアワークしてた人間ですから。
「それじゃあ、客間に案内してから広間に向かおうとするかな」
山本さんは客人が到着したことを伝えるため一度その場を後にし、忍術学園一行は雑渡さんの後に続いていく。道中、珍しそうに見ながら頭を下げてくる城の人達に委縮して伊作の服の裾を掴ませてもらった。こんな場でも堂々としてそう、と言われたが殿がいるお城でふんぞり返って歩くなんていう肝は座っていない。忍者は城に潜入とかあるから慣れてるかもしれないけど、こっちは内閣総理大臣の家にお邪魔してるのと同じなのだ。下手なことはできないので緊張もMAXである。
「そんなに緊張しなくても、身内だけの催しだから肩の力抜いていいよ」
「でも姫来るんでしょ?」
「うん、まぁ。姫も君に会えるの楽しみにしてるし、そこまで畏まらなくて平気」
と言われましても。姫とのご対面に緊張するなという方が無理だ。
結局、体の力は抜けないまま今日泊まる部屋へと到着した。触っただけでも罰金が取られそうなお高いであろう障子を開けば、1日何万円取られるんだろうというレベルの素敵すぎるお部屋が視界いっぱいに広がる。
「監視対象って言ってたし、申し訳ないけど3人一緒の部屋にさせてもらった。衝立はあそこにあるから自由に使って」
「別に大丈夫だよね」
「ええ。昨日もお姉様の長屋に泊まらせてもらいましたから」
「鬼姉様の紙芝居面白かったですぅ〜」
「え、そうなの?」
この休み中は忍たま長屋が閉まってしまうため、こっちに泊まったことを説明すれば「へぇ、じゃあ今度私も行くね」と言われた。そんなデカい図体が加わったら狭すぎて寝るに寝られないので雑渡さんは屋根でと返しておく。秒でヤダと跳ね除けられた。
必要な荷物だけを持って再び雑渡さんの後ろを歩いていく。来たばかりの緊張は少しずつ和らいでいき、代わりにタソコミへの期待が膨らんでいく。
人気が少なくなった廊下を歩いていると、障子の前で誰かが立っているのに気がついた。何度も顔を合わせているので自然と頬も緩んでいく。
「尊奈門、みんなは集まってる?」
「組頭!はい、みんな今か今かと待ち侘びてます」
「おーモロ出し、久しぶり」
「だ・か・ら!その呼び方をやめろ!諸泉尊奈門だ!」
「あっそうだ。これモロ出しにって思って持ってきた」
「だからその呼び方をやめないか!!」
モロ出しがギャイギャイ騒いでるのを横目に、風呂敷の中から一枚の紙を取り出して手渡す。疑いの目で見ながら仕方なく受け取る素振りを見せたモロ出しは、そこに描かれているものを見てパッと目を輝かせた。
「雑渡さんに聞いたよ。枝売りの少女好きなんだってね。今日はお世話になるから描いてきたんだけど……」
「お前……本当にすごいな……。ありがたく貰っておく」
「うん。喜んでもらえてよかった」
「ねぇ、私には?」
「今までいっぱいあげてるじゃん。あとでね」
雑渡さんの絶対描いてもらうという確固たる意思を浴びながら、モロ出しが障子を開けるのを待つ。先頭に立つ勇気はないので伊作を前に押し出したが、逆に押し返される。顔見知りいっぱいいるなら別にいいじゃんか。だがどちらとも譲らないので間をとって伏木蔵を先頭にした。その肝の座り、今こそ役に立てるときだ。
障子が開く。さて、タソガレドキコミックマーケットの始まりだ。
おかしい。
想像していたのは、未来と同じように絵を描く人達がそれぞれいて、自分が描いたものを配布する催しだと思っていた。だがしかし。
「はい、お求めは『フランダースの犬』のネロとパトラッシュコンビですね。お時間少々いただきます。お姉様、次こちらです」
「鬼姉様ぁ〜追加の墨入れておきます〜」
「はーい並んで並んで。大丈夫、あの人逃げないから逃がさないから。焦らずに並んでねー」
配布してるのここだけ。これじゃあただのスケブ譲渡会である。
受付の伊作に助手の伏木蔵、売り子として列を整備している雑渡さん。そして、このエリアの前にギッシリ形成されている長蛇の列。
タソガレドキ忍軍の組頭が売り子やっているという何とも恐れ多く豪華な状況であるが、それよりもこんなにも人が集まってくるとは思いもよらなかった。
事前にいくつか描いてきたイラストはものの数分で配布終了。仕方ないからとその場で描くと決めた瞬間から綺麗に作られた列。流石忍者、音もなく一瞬で形成するとはやりおる。
「あ、高坂さん。こんにちは!」
「こんにちは〜〜」
「ああ、2人ともこんにちは」
どうやら伊作と伏木蔵の知り合いらしい。見たところ同年代だろうか。目元が切れ長の現代でいう塩顔イケメンがこちらまでやってくる。受付の伊作が「お姉様に描いてほしいイラストがあるらしいです」とこっそり囁いてきた。そんなコソコソ言うって、R指定のものじゃないだろうな。ここには伏木蔵がいるんだ、そういうのは後日個別に依頼してほしい。
そんなエロ本ご要望の高坂さん(仮)、こちらに来てはソロリと後ろを確認する。その先には列を整備する雑渡さん。まさか、BLの方とかいうんじゃないよね。こちらも嗜みはするが知り合いのは描けないぞ。
「あの、組頭の絵をお願い、したいです……」
「えっと、それは一体どういった感じの……」
「いえ、普段の立ち姿だけで充分です」
よかった、BL方向じゃなかった。ごめんなさい、高坂さん。勝手に偏見持ってしまって。
「わかりました。あ、そういえば出し忘れてたんですが、いつしか暇で描いてた雑渡さんの女装イラストがありますけどいり……」
「ください」
「……猫耳つけた雑渡さんはどうしま」
「いりますください」
「………」
ああ、うん。この人、雑渡さんのオタクだな。高坂氏、雑渡さん大好きじゃん。ふざけて描いてたものをこんなガン決まりの目で欲しがる奴はオタク以外いない。
ザトオタデス城のザット狂か。タソガレドキは濃いキャラの人が多いな。あっちはザット公、こっちはザット狂。
粗方捌き終えた頃には手はパンパンだ。これじゃあ腱鞘炎になってしまう。そうなる前に終わってよかった。まさか忍軍だけじゃなくて城内の人達まで来るとは、雑渡さんどれだけ紙芝居を広めたのだろう。
ちょうどよくお昼時になったので雑渡さん達が利用している食堂へと案内してもらい、腹を満たせば午後の戦だ。
そう、紙芝居のお時間である。午前中は習い事で来られなかった姫様もこの時間は来るらしい。広間にはすでに人が集まっている。ぶっちゃけ忍軍は暇なのか、敵が攻めてきたらマズいんじゃないかとも思うが、伊作曰くタソガレドキの忍者隊はめっちゃ強いらしいのでそこは杞憂とのことだ。
しぃんと静まり返った広間。紙芝居を抱える自分に対し、目前に広がるはこれを楽しみに来た城の人達。姫様は来ているのかいないのか知らないが、大人気なく最前を確保している雑渡さんが始めていいというので遠慮なく始めさせてもらう。
ワクワクしている伏木蔵と伊作に頬を緩め、紙芝居の内容に合わせた声を意識する。
・
・
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広間の全員の視線を集める彼女が持つ手には雑渡から聞いていた紙芝居が握られている。その表紙には狐の親子であろう2匹が可愛らしく描かれていた。
狐の子どもがほらあなから顔を覗かせた後、小さな手で目を押さえている。
「『かあちゃん、目になにかささった。ぬいてちょうだい、早く早く』」
けれど、子狐の目には何も刺さっていなかった。母狐が外を確認すれば、昨日の夜にどっさり雪が降ったのだ。白い積雪が日の光を反射し、強く子狐の目に直撃したことから刺さったと思ったのだとわかった。
真綿のような雪の上を遊ぶ子狐がとても可愛く、ところどころで「子狐たんキャワ……」と呟く声が聞こえてくる。雪の粉を降らせて虹を作る子狐に癒されていると、手を擦り合わせながらほらあなに戻る場面に変わった。
「『おかあちゃん。おててがつめたい』『もうすぐあたたかくなるよ。雪を触ると、すぐあたたかくなるもんだよ』」
はーっと息で子狐の手を温めた母狐は、坊やの手にしもやけができては可哀想だからと夜になったら町まで行って毛糸の手袋を買ってやろうと考えた。
暗い暗い夜。だというのに雪が一帯を包み込む白さに目が眩むほど眩しく思える。母狐の腹の下にいる子狐が山の向こうにある星について尋ねた。母狐はあれを町の明かりだと答えた。
「『かあちゃん何してんの。早く行こうよ』と子狐が急かしますが、母狐はどうしても足が進みません」
母狐は人間の恐ろしさをよく知っている。だからこそ、その恐怖が湧き上がって足がいうことを聞いてくれないのだ。
「そこで、仕方ないので坊やだけを1人で町に行かせることにしました」
何でだ。人間が怖いことを知ってるのに子どもを1人行かせるなんて。後ろから「組頭邪魔です」と言われて横向きに寝転がった1番前は譲らない雑渡も「可愛い狐には旅をさせなくていいから!」と女性に訴える。うるせぇオヤジと一蹴されていた。
「『坊や。おててを片方お出し』と母狐は言いました。その手をしばらく握ると、なんと可愛い人間の子どもの手にしてしまいました」
なんと、母狐は妖術を使うのか。
いや、昔から狐は人に化けるという。その力を母狐は子どもに使ったのかもしれない。見慣れない手に、子狐は舐めたり匂いを嗅いだりと落ち着かない様子だ。
「『それは人間の手だよ。いいかい、坊や。町に行ったらまず表にまるいシャッポの看板がかかってる家を探すんだよ。それを見つけたらトントンと扉をたたいて、こんばんはと言うんだ。そうしたら、中から人間が少し戸を開けるからね。その扉の隙間からこっちの手を差し入れてね、この手にあう手袋をちょうだいっていうんだ。決してこっちの手を出してはいけないよ』と母狐は言い聞かせました」
人間じゃないとバレたら手袋を売ってくれない。そう言った母狐は人間の怖さを説いた。しかし、子狐はふーんと言うだけで響いていないらしい。
2つの白銅貨を握らせた母狐は町に向かう子狐を見送った。明かりを頼りによちよち歩く子狐を見ていられないのか、あちこちで「ああ、陰で見守りたい…」「子狐を狙う輩がいたらブッ刺してやりたい」などと子狐を案じる言葉が飛び交う。
雪のように柔く、そしてどこか温かみを含んだ声が子狐を町まで誘った。
街灯が灯す町は子狐にとって初めてであり、新鮮な世界。帽子屋を探しながら、メガネ屋、自転車店、何の店かわからない建物を通り過ぎていく。
そして、とうとう帽子屋を見つけた。黒いシルクハットの看板を見つけた子狐がトントンと戸を叩く。
「『こんばんは』」
「こんばんは!!!」
「おいオヤジ、ストーリーに入ってくんな」
「無理!こんないたいけな子、放っておけない!」
「大人しくしてないとあんたに描いたイラストあげないよ」
今この場で誰よりも幼児の心を持つタソガレドキ忍軍組頭、鬼ババの一言で鎮圧。すぐに口を噤んで寝転んだまま動かなくなった。
紙の中には戸の隙間から漏れ出る光が眩く、驚いて母狐に出してはいけないと言われた狐の手を出している子狐がいる。それを見た観客達が「ああっ…」と震えた不安を漏らす。
「『このおててに、ちょうどいい手袋をください』」
だが、その手は人間の手ではない。
お店の人間はどんな対応をするのだろうか。
狐が来たと騒いで捕まえるだろうか。
雑渡なんて、さっき鬼ババから注意を受けたせいで我慢して全身を震わせたまま動かない。多分、注意されていなかったら「そんなのいくらでもあげるよ!!」と叫んでいたに違いない。
「ぼうし屋さんはおやおやと思いました。狐の手です。狐が手袋をくれというのです。『先にお金をください』と言えば、子狐は素直に白銅貨を渡しました」
白銅貨をかち合わせるとカチカチと音がしたことで、これは狐が化かした木の葉のお金ではない。本物だと確信したぼうし屋は子ども用の手袋を出して子狐に持たせてやった。
「ぼうし屋ざん……!」
「あんたいい人だぜっ……」
「その店で売ってる品物全てください」
「子狐はお礼を言って元来た道を帰りはじめました。『おかあさんは、人間は恐ろしいものだとおっしゃっていたけど、ちっとも恐ろしくないや。だってぼくの手を見てもどうもしなかったもの』と思いました」
さて、この手袋をくれた人間はどんなものなのだろうか。興味が出てきた子狐は窓の下を通りかかった時に聞こえた優しく、美しく、おっとりした声に意識を向けられる。
「眠れ、眠れ、母の胸に。眠れ、眠れ、母の手に───」
優しい霧に包まれるような微睡む声にうっとりする。触れた指先で絡められるくらい心地よい響きは心の臓を温めた。その温もりが血で全身に運ばれて、やがて言葉にならない懐かしい喜びが浮き上がる。
「『かあちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いってないてるでしょうね』」
人間の母の歌を聞いた子どもの声がそう言った。
「『森の子狐もお母さん狐のお歌を聞いて、ほらあなの中で眠ろうとしているのでしょうね。さぁ、坊やももう寝なさい。森の子狐とどっちが早く眠るのでしょうね』」
それを聞いた子狐が、母が恋しくなって急いで雪山へと戻っていく。
母狐は森の入り口で震えながら我が子を待っていた。そして、我が子が帰ってくると温かい胸に抱き締めて泣きながら喜んだ。
月の光で毛並みが銀色に見える2匹の狐。足元にコバルトブルーの影が置いていかれる。
「『かあちゃん、人間ってちっとも怖くないや』『どうして?』『坊、間違えて本当のおてて出しちゃったの。でも、ぼうし屋さん、つかまえやしなかったよ。こんな温かい手袋をくれたもの』」
手袋をはめた手をパンパンと叩く子どもに、母狐は「まあ!」と呆れた。けれど、子狐がはしゃぐ様子を見てフゥと息を吐く。
「『本当に人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら』とつぶやいたのでした」
───おしまい。
月明かりが照らす雪の眩しさのような声が物語の終了を伝えた。けれど、何故だか心に影が残された気がする。そう、狐の親子が置いていったコバルトブルーの影のように。
この違和感に雑渡が気づいていないわけがない。だが、当の本人は何処から取り出したかわからないが、起き上がってものすごいスピードで何かを作っている。
「組頭、何してるんです?」
「何って?私はいつでも子狐が来ても大丈夫なように準備しているだけだよ」
山本が呆れるほどに作り出された手袋。目にも留まらない速さで編まれていく手袋は紙芝居に感化されて作り上げたものに違いない。それを間近で見ていた、本日の客人の1人である伏木蔵という子どもが片方手を出して言った。
「このおててに、ちょうどいい手袋をくださいなぁ〜」
「何個いる!!!?」
きっと、あの編まれた手袋達も購買で雑渡のギニョールの横に並べられるだろう。そしてものの数秒で売り切れること間違いなしだ。
さて、おしまいとは言われたものの、胸に残る違和感の正体を知りたいものだ。すると、紙芝居を読んでいた張本人が早くもその答えを出してくれた。
「最後の母親の言葉は、別に人間のことを見直した、という意味合いではありません。子どもというのは単純で純粋、一度見たものを信じてしまうもの。だから子狐はああ言ったけれど、大人からしてみれば疑うのも無理ありませんか?」
「確かに、人間の醜い部分を知っているのなら尚更ですね」
「ぼうし屋も優しさで手袋をあげたわけじゃありません。ちゃんとお金を払ったから、自分に不利益が生じないとわかったから手袋を渡したんです。ぶっちゃけ、相手が何であろうとお金が貰えれば何でもいいんですよ」
癒しと感動の話のはずだったのに、急に現実を突きつけられて感動も何もなくなってしまう。けれど、腑に落ちた。世の中綺麗な話ばかりではない。狐が人間に手袋を貰いに行き、何事もなく帰って来れたのは奇跡と言っても過言ではない。まぁ、物語の話に何を言っても意味はないが。
拍手が鳴り止まない広間の中心で立ち上がれば、瞬時にそれは鳴り止んだ。周囲が驚きながらも頭を下げ始めるのを横目に、目を丸くしている彼女に歩み寄る。素晴らしい景色を見せていたその手を強く握った。
「おまえ、なかなか面白い話をするではないか!」
「……えっと?」
「ほっこりする話かと思いきや、しっかり教訓を混えているとは」
興奮気味に捲し立てていれば、後ろから呆れたような雑渡の声が投げられた。
「姫様、彼女困ってますから程々にお願い致します」
「姫様……!?」
「いかにも!妾はおまえをこの城に呼んだ張本人、タソガレドキ城城主・黄昏甚兵衛の娘、夕顔という!」
さぁ、もっと面白い話を聞かせてくれ!
───おまえとは話したいことが山程あるのだ!
「まさか、姫様があの中に混じって聞いていたとは。びっくりした」
「僕もまさかいるとは思いませんでしたよ。それにしてもお姉様、気に入られましたね。タソガレドキに誘ってくるなんて余程ですよ」
そう、紙芝居を終えた後に正体を表した夕顔姫はこちらが怯むほどに喋り倒してきた。伊作と同い年とは思えないほどはっちゃけた姫様に呆気に取られながら、失礼がないように話を続けていたらいつの間にか気に入られていたらしく、タソガレドキ城で働かないかと持ちかけられた。
「伊作が間に入ってくれなかったらどうなっていたか…」
「あはは。僕じゃなくてほぼ雑渡さんが助けてくれたみたいなものです。それに、お姉様が忍術学園からいなくなったらは組のみんなが怒りますしね」
「そうかぁ?」
夜も更け、今は当てがわれた部屋で行灯の光を横目に寝る準備をしながら伊作と談笑してる最中だ。伏木蔵は一足先に夢の中に旅立っている。持ってきた雑渡さんのギニョールと彼に作ってもらった手袋を抱き締めながら「ミステリィ〜……」と寝言を漏らすのを2人で顔を見合わせて笑った。
すると、部屋の外でコンコンと何かが所在を示す音を知らせてきた。返事をしようと口を開いたが、伊作が人差し指を立ててきたので声を発さずに唇を閉じる。警戒心を感じさせず、けれど意識は気配から逸らさない伊作が人好きのする声で返事をし、障子を開いた。
「おお、おまえもこの部屋におったのか!夜這いの最中か?」
「え"」
障子の向こうにいた人物に固まった伊作から警戒心が弾け飛んだ。何故なら、そこには雲の上の存在が不用心にも寝巻き姿で立っていたのだから当たり前だ。伏木蔵の側で待機していたこちらも、突然の姫の訪問に思わずずっこける。
「あの、失礼ですが姫様……護衛の人もつけずにここにきていいのですか?」
下手したらこちらの首が飛ぶ。向こうから来たとはいえ、寝巻き姿の姫様がここにいると知られたら連れ込んだと思われる可能性も大いにあり得る。だが、こちらの心配をよそに姫様はあっけらかんと言い放った。
「そう緊張するでない。どうせ今日の妾の護衛である陣内がおまえ達の無実を証明してくれるに決まっている」
「山本さん……?」
開いていた障子が少し隙間を増やす。そこには申し訳なさと気まずさを露わにした山本さんが控えていた。
「申し訳ない、お二人とも。姫様がどうしてもここに行くといって聞かなくて……」
「さぁ!夜はまだ長いぞ!本番はこれからじゃ!妾はまだ話し足らん!」
「姫様、お言葉ですが、夜も更けておりますのでお話は明日の楽しみにするというのは……」
「嫌じゃ!幸薄男は黙っておれ!」
「幸薄……」
微妙に的確な指摘を受けてズーンと項垂れた伊作に、山本さんが心底申し訳なさそうに謝り倒す。上司にも振り回され、姫様にも振り回されたこの人の胃に誰か薬を差し上げろ。伊作、いつも土井センが飲んでる胃薬を分けてやれ。
どう説得しても姫様が戻る気配はないので、仕方ないと肩をすくめて姫様に囁いた。
「もう夜ですから少しだけでいいですか?あと、伏木蔵が寝ているので小声でお願いしたいのですが」
「ああ、構わん!」
姫の背後で山本さんが視線で礼を言ってくるので頷いて返事をしておく。伏木蔵が目を覚さないよう、なけなしの衝立を立てて姫様の相手をすることにした。
山本さんと伊作が入り口付近で待機して見守ってる中、全然眠くなさそうな姫様がいそいそと隣に来て、とあるものを懐から取り出して見せてくる。
「おまえ、こういったものに理解はあるか?」
「………」
なるべく姫様にいっぱい話させて疲れてもらおうと思った矢先、先手をとられてこっちの目が覚めた。後ろに控えている山本さんと伊作に見えないよう体全体で隠す。
「なぁ、理解はあるか?」
「あ、はい、まぁ……」
理解はあるし、この時代にもうBL文化が広まっていることに驚いたし、何よりこのお城ですごい地位にいる姫様の隠された趣味に衝撃だった。
それにしても姫様、絵がすごいお上手。フォロワーがめっちゃいる神絵師と言っても過言ではないイラストだが、非常にコメントしづらい。
需要と供給の産物がその辺にたくさん売られてる未来の人間だからこんなリアクションで済ませられるが、これがこの時代の人だったら多分ひっくり返ってる。
「皆には内緒だぞ。おまえだから明かしたんじゃ」
こっちも嗜むは嗜むが、知人のBLは公に喜べない。でもどうしよ、これ。どっちが上ですか下ですかって聞いた方がいいのか?聞いた方が良さそうだよね、姫様聞いてほしいって顔でウズウズしてるもの。
「えーと、姫様。これはどっちがう……」
「そんなの昆奈門に決まっておろう!」
こっちが聞き終わる前にフライングする姫様はイラストの雑渡さんを指で叩きつける。背後では伊作の「あの、上とは?」と山本さんの「お気になさらず」と小さく会話されているが、多分山本さん姫様の趣味知ってる。そして、自分も犠牲になってること知ってる。姫様に見せられたイラストは雑渡さんと高坂氏だが、2枚目くらいに山本さんらしき人物が見え隠れしている。姫様の中でタッソンズラブが繰り広げられているが、視聴者としては知り合いが出演してるとなるとコメントに困る。非常に困る。
「あれ、これモロ出しだけいませんね」
「モロ出し?」
「え、あ、えぇっと…あれだ、尊奈門くん」
危ねぇ、姫様の前で所属の忍者の名前間違えてしまった。幸い、気にしていなさそうだが別の意味で浮かない顔をしている。というより、諦めたような笑みを見せていた。
「妾に尊奈門は描けぬ」
「何故?」
「……〜〜っ何でもじゃ!」
はっはーん。これはあれか、城の中で青春しているわけというだな。少し頬を染めて唇を尖らせる姫様がそっぽ向く。
「尊奈門くんだけ描けばよいのでは?」
「………そんなことしたら、諦めきれなくなる。妾はもうすぐ嫁ぎ先が決まる身、これ以上はダメなのじゃ」
確かに、一国の姫様と忍者の恋はファンタジー物語でもない限り叶いそうにない。聞けば、モロ出しへの恋心を抑えるためにタッソンズラブを繰り広げているとのことだ。方向性が斜め上なのは黙っておこう。
「仮に想いが通じ合ったとて、結ばれない運命の中で見つからないように進むのは、羽をもがれた蝶が飛ぼうとするくらい難しい。じゃから、妾は最初から結ばれない運命を受け入れようと思うとる」
趣味はあれだが達観してるな、この姫様。タソガレドキ領の殿様は戦好きと聞いた。度重なる戦を見てきているからか、夢見る少女じゃいられないと早くに思い知ったのかもしれない。忍なんて職業は戦と直結しているところがあるし、いつ死んでもおかしくない男に姫はやれないだろう。
「おまえが気にすることではない。そんなことより、妾は午前の催しに参加できなかった身。それ故におまえに描いて欲しいものがあるのじゃ!」
「ちなみに顔を知ってる人のこういった傾向のものならばお断りします」
「何故じゃ!」
こちらの返答にショックを受ける姫様だが、当たり前だ、こっちが次からどんな顔をすればいいかわからなくなるからだ。姫様には申し訳ないが、後ろに伊作と山本さんがいるのに知り合いのBLは描けない。
案外諦めがいいのか、姫様は「じゃあ2人が並んでいるだけのものなら……?」と妥協したのでそれならばと了承する。
「おまえ、昆奈門の言う通りうまいではないか!!」
「お褒めに預かり光栄です」
姫様のリクエストを答えてやったところで山本さんから姫様へ催促のお言葉がかかる。満足した姫様が素直に応じたその時だった。
「姫様!!」
「お姉様!!」
危機迫った顔の山本さんと伊作に引き倒されたと思ったら、天井から苦無が2本降りかかってきた。ちょうど自分達がいたところで、明らかに女2人が命を狙われたという証である。
「な、何じゃ…!」
「お静かに」
山本さんに抱え込まれた姫様が狼狽える中、天井から静かに誰かが降り立った。それも複数。
「フン、タソガレドキもそう大したことないではないか」
敵国の忍びであろうか、筆頭の覆面野郎がしゃがみ込んで何かを手に取り、折り畳まれていたそれを懐にしまった。……おい、ちょっと待て、それ。
「それでは、忍術学園とタソガレドキの姫との間で密かに行われていたやりとり……この密書は頂いていく」
「堂々と表に出てくるあたり、忍びの質がよくわかる」
「その忍びに密書を盗られるそちらもな」
「お取り込み中ごめん、それ密書?じゃないけど」
どう考えてもそんな空気じゃないが、それどころではない。敵の忍びが懐にしまった紙について言及してみたものの、鼻で笑われてお終いだった。
「その者の言うことは本当じゃ。それは妾達の密書ではない」
「騙そうとしても無駄ですよ。それでは、これにておさらば!」
本当のことを教えてあげたのに、敵の忍達は煙幕とやらを出して逃げていった。煙の中で「小頭、すでに城内にて総員取り囲んでおります。これから我々も追跡を」と聞こえ、「ああ、私も姫様を安全な場所にお連れしてから加わる」と山本さんの声がした。多分、会話していた相手はご冗談かと思いきや本当に名前だった五条弾だろう。
煙が晴れてきたころ、ようやく伊作の腕から解放された。いつの間に連れていたのか、一緒に伏木蔵も抱え込まれていて忍たま最上級生ってすごいなと場違いに感心してしまった。
「申し訳ありません、姫様。危険な目に合わせてしまいました。罰は後ほど如何様にも」
「よい。おまえは妾の我儘に付き合っただけのこと。それよりも、ちとマズいものが持っていかれたな」
姫様がこちらをチラリと見る。その顔はめっちゃ引き攣っていることから、やはりあれが持っていかれたのだと思う。確かにマズい、非常にマズい。特に雑渡さんと高坂氏に見られたらこの世の終わりと言っても過言ではなさそう。
こちらの様子からそれが何か伺えたのか、山本さんもだんだん顔を青くし頭を抱え始めた。
「どうしたんです?御三方、具合でも悪いのですか?」
残りは何も知らない伊作とこの状況でもまだ寝ているある意味大物な伏木蔵だけ。姫様に目配せすると、悩みに悩んで何とか許可を得られたため、伊作を手招きし耳元で盗まれた紙の中身を説明してやった。正直伊作に説明していいものか考えたが、この時代15歳はすでに成人済み。ならば問題ないと言い聞かせて話す。
「なっ、えっ……な、る、ほど……」
姫様の趣味に伊作が驚きの表情を浮かべ、それが盗まれたことで起こる未来を想像したのかこちらも顔を青くさせた。
そう、別にあれを持っていかれても忍術学園側としては問題ない。しかし、万が一あれが原因で戦争に発展したら確実に関係のあったこっちは巻き込まれること間違いなしである。忍者達のR18のBL本なんて戦争に発展する原因になるわけない、と言いたいところだが戦争なんてものはどこで起きるかわからないもの。敵対している国に渡ってしまったらそれを引き金にして戦争をおっ始めるかもしれない。
「これが黄昏甚兵衛殿にバレたら……」
「首・即・斬だね」
「ど、どうします?」
「何とかするしかないって。姫が描いた男同士の春画で戦に発展するなんて馬鹿馬鹿しくてやってらんないでしょ!」
もしかしたら『黄昏甚兵衛衆道春画の乱』なんてものが未来で教科書に載ってしまうかもしれない。何故殿様の名前かというと、戦を率いる人間の名前が大体つけられるからだ。例えば、大塩平八郎の乱みたいな。大丈夫、春画が発端の戦争なんて教科書に出てこなかった。『黄昏甚兵衛衆道春画の乱』なんて名前は見たことない。だからこの騒動はどんな結末であれ収束するということだ。多分大丈夫だと思うが……不安しかない。
「姫様、ご無事ですか。それに伊作くん達も」
「昆奈門!」
「申し訳ありません、組頭。私がついていながら」
「陣内は妾の我儘に付き合うただけ、処罰はせんでよい」
「姫様がそうおっしゃるのであれば」
天井から音もなく雑渡さんが降り立つ。その後にモロ出しと高坂氏が続いてこちらを真剣な表情で見据えてくるも、事態の深刻さはこちらとあちらではベクトルが違う。
「曲者が侵入した以上、我々の最優先は殿と姫の護衛だ。陣内、お前は殿の護衛に回れ。陣佐と尊奈門は姫と伊作くん達を安全なところへ」
「組頭は?」
「私は曲者を捕らえに。陣内、姫が彼女に渡した密書というのは、本当は密書ではないのだろう?」
「ええ。姫様と客人が遊びとして描いていた絵です」
山本さん、それだとこっちも描いたことになる。やめて、撤回して。顔見知りのR18のイラストなんて描いたことありません。雑渡さんのストッパーだからオヤジのオヤジと認識していたがこの人も中々予測不能な言動をしてくる。
内心でツッコミするが声には出せず、こっちの心内を知る由もない雑渡さんがクルリと翻して部屋を出て行こうとする。
「それなら、中を確認してから君に渡すとしよう。いいね?」
よくねぇ。
その場にいた事情を知ってる者が総出で雑渡さんを引き止めにかかる。姫は左足に、自分は右足に、伊作は腰にしがみつき、山本さんは行く道を阻んだ。モロ出しと高坂氏の白い目がとてつもなく痛いが、今はそれどころじゃない。
「え、ちょっと何?陣内まで、何かやましいことでもあるの?」
「組頭、ここは私が逃した責任を負って捕らえに参ります。ですから組頭は殿の元へ」
「私に見せられないものってこと?こんなことしている場合ではないと思うんだけど」
「昆奈門!いいから陣内に任せるのじゃ!おまえは父上の元にゆけ!」
血走った目とすごい気迫で訴えかける姫様。初めて見るであろう姫様の表情に少しだけ目を見開いた雑渡さんが呆れたように肩を落とした。
「まぁ、今回の曲者は侵入できたもののそれほど強くはないみたいだし。陣内に任せるよ」
「はっ、ありがとうございます」
「それと陣佐も一緒に……」
「陣佐は妾の護衛についておれ!!いいか、決して妾の傍から離れるでないぞ!!離れた瞬間、泣き喚いてやるからな!!陣佐のせいで妾が泣いたと噂を立ててやるからな!!」
「えぇ……」
中心の人物達には意地でも見せたくない姫様の駄々捏ねに雑渡さんが困り果てている。こんな場面でなければその様子に珍しいと笑いながら見ていたが、姫の気持ちは痛いほどわかる。山本さんのせいでこっちも描いたことにされてしまったのでその駄々捏ねは切実にありがたい。
巻き込まれた高坂氏は何故自分が行ってはいけないのか不満気だったが、雑渡さんの命によって渋々こちらの護衛に回ってくれたようだ。
「山本さん。絶対に邪魔はしませんので僕も連れて行ってください。密書を持っている奴の顔は記憶してあります」
「だがしかし、君は姫の客人であって……」
「お願いします!忍術学園のためでもあるんです!!」
「………わかった。決して危ないことはしないように」
「ありがとうございます!」
伊作も山本さんに着いて奴らの追跡に加わることになったらしく、こちらに未だ眠っている伏木蔵を預けてきた。
「お姉様、絶対に忍術学園を戦に巻き込ませません!」
「気をつけてね、伊作!頼んだ!」
こんな闘いに赴く兵士の見送りみたいなことをしているが、実際はただBLのR18イラストを取り返しに行くだけである。こんな闘いに赴く兵士がいたら可哀想がすぎる。この場合は伊作だが。
こうして、雑渡さんは殿の元へ、山本さんと伊作は敵の捕縛、自分達は避難するため各々散らばっていった。
周囲を警戒しながら進むモロ出しと高坂氏に連れて来られたのは、それなりに人通りがある場所の一角にある部屋だった。
曲者が侵入したことで城内の空気はひりついている。少しばかりざわついている廊下に腕の中の伏木蔵をギュッと抱き締めた。
「鬼姉様、伊作先輩ならきっと大丈夫ですよぉ〜」
とっくに目が覚めている伏木蔵に気を遣われる。すごくありがたいし、その優しさを今後も忘れないでいてほしい思いはあるが心配しているのは伊作の安否ではない。あの敵に紙の中を見られてしまうことだ。中を見られたら最後、タソガレドキの今後がそこで決まってしまう。
「それにしてもドッタンバッタンうっさいな。敵が侵入してきたらこんなにも喧しいものなの?」
さっきからやたら天井からバタバタ音がするし、どこか向こうの方からいろいろ物が倒れて壊れる音が響いてくる。忍者とはもっと静かにスマートに敵を捕えるものかと思っていたがアニメの見過ぎだったのか。
頭で思い浮かべていた忍者のイメージにヒビが入りそうなところで、高坂氏とモロ出しが肩をすくめながら首を振ってくる。
「おそらく、善法寺くんの不運が城中に仕掛けておいた罠を全て発動させているのだろう」
「それによって逃げ場を限定された敵が焦りで駆け回っているとみている」
恐るべし、伊作の不運。
「組頭、きっと今頃笑いを堪えてるに違いない」
「筋金入りの不運の持ち主だからな、善法寺くんは」
「幸薄男、何と声を掛けていいかわからぬな」
伊作の不運の度合いに全員が乾いた笑いをしていると少し向こうの障子が勢いよくぶち破られ、そこから何かが飛んできて壁に激突した。ここは宴会場のような広い部屋。狭い部屋だといざ襲われたときに戦いづらいからという理由だ。そのため衝撃の余波は少し離れたこちらに飛んできていない。
砂煙の中、動いたそれは見覚えのある者だった。
「アイツ!アイツじゃ妾の大事なえーと…大事な紙を持っていったのは!」
そう、この部屋に吹き飛ばされてきたのは先程姫様のタッソンズラブイラストを持っていった曲者である。伊作の不運に巻き込まれたのか、ところどころボロボロだ。正直同情する。
「善法寺くん!」
「はい!!……えっ、あっ、あっ、おわぁーー!?」
山本さんと紐のついた酒瓶を持った伊作がすぐさま入ってきたが、ここでも伊作の不運が発動し、この周辺に仕掛けられていた罠であろう飛んできた矢を避けようとしてよろけてしまった。その拍子に酒瓶が曲者に向かって一直線に飛んでいき、しっかり額にぶち込まれた。本当にマジで同情する。
「ひっ捕らえろ!!」
「わーーー!!陣佐おまえは行くでないわ!!」
「ちょっ、姫様離してください!!」
「ならば私が……」
「尊奈門!おまえもじゃ!行ったらこの場で首括るからな!」
「ええっ!?」
意識が飛びそうな曲者の横に思い切りオープンしている数枚の紙が落ちている。姫様はあれが自身が描いたR18のBLだと確信しているため、全力で捕らえに行こうとする護衛の2人を止めにかかっている。
確かに、伊作の物理的麻酔によって意識は少し残っているがあれを回収するにはまたとないチャンスである。
「高坂氏、伏木蔵頼んだ!」
「え?何を……!?」
伏木蔵を高坂氏に押し付け、世界の命運を分けるであろう紙の回収のため全速力で走る。向こうからも山本さんと伊作が血走った目で向かってきていた。目的は3人とも同じ、示し合わせたかのように曲者に向かって一斉に飛びかかった。
曲者は思った。ここが自分の人生という名の舞台の幕引きだと。
飛んできた酒瓶によってあやふやだった意識も少しはっきりしてきた。今はどういう状況なのか、少しだけ霞む視界を上に移動させれば、自分に向かって飛びかかってくる3体のバケモノ。血走った目がモノノケの目のように赤く光っていることから一瞬地獄に落ちたのかと錯覚したほどだ。
左から人里に降りてきた鬼ババ、不運大魔王、1番ヤベーだろうオヤジのオヤジ。
タソガレの名を背負うのはこの中で1人だけだがソイツがやっぱりやばい。その他は歴史に刻まれそうな名の阻止を、もう一人はとてつもない不運を背負っている。どれをぶつけられても無事な明日は約束できない。
「「「返せぇぇぇぇぇぇぇ!!!」」」
どいつもこいつも獣のように目を光らせて飛びかかってくる。
タソガレビースターズ、いやタソガレモンスターズに獲物と化した自分が適うわけないと、なんてところに潜入してしまったのだと後悔しながら意識を飛ばした。
「曲者は捕らえたか?」
「と、殿!?何故ここに!!」
気絶する曲者を前に振り返れば、そこには雑渡さんともう1人。高坂氏の言うことが本当だとしたら。
黄昏甚兵衛、変な顔。
・
・
・
「ふむ、今回の曲者退治に客人が協力してくれた、と」
場所は変わってめちゃめちゃ豪華な部屋。
上座に変な顔の黄昏甚兵衛様が座り、その横に気まずそうに顔を伏せている姫様。娘の意向を汲み取り、雑渡さん達忍者隊は下座に控えていた。理由は勿論、殿様が娘が描いた今回の原因ともなるアレを見ているからだ。
「夕顔」
「……はい、父上」
知ってる人にバレるのも嫌だが肉親はもっと嫌だ。その気持ちは痛いほどわかる。そのため、父親の顔を見れずに顔を背けたまま会話を試みようとする娘に殿は気にせず話し始める。
「娘の趣味に口出すつもりはないが、今回はこれが原因で騒ぎを起こしたと聞いた。再び狙われては敵わん。とりあえず今同じような物があるならば燃やすか捨てるかせい」
「ええーー!?」
「そもそも客人は今日明日帰るわけではなかろう。お前の我儘で部屋を抜け出した罰でもある」
「せっかくコツコツ頑張って描いたのにぃ……」
「物語のように、始まりがあれば終わりもある。その終わりが今日だっただけ。失った物ばかり数えるな」
「慈悲はぁ……」
「無い物は無い!!」
いいこと言ってるけど、1番失ったらやばかったのは殿なんだよな。不名誉な戦いが繰り広げられて遠い未来で歴史上最高に恥ずかしい戦を引き起こしたとして有名になるところだったんだけどな。
「自分では燃やせないので、妾の信頼している客人にお願いします……」
「「えっ」」
「そうか。すまぬが、夕顔の頼み聞いとくれ」
タッソンズラブの処理が決まった瞬間である。伊作と目を合わせ、肩をすくめてから2人して「承知しました」と頭を下げた。
「お前が話に聞いていた紙芝居とやらを見せる絵師か」
「え、はい、私です」
「面白い。話を聞いて一度見てみたかったのだ。明日、この場でその紙芝居とやらを見せてみろ」
そう言って部屋に帰っていった殿を見送った後、言われたことを思い返して雑渡さんを見遣った。
「ちょっと、殿に見せるなんて聞いてないんですけど」
「うん、私も予想外。殿に報告したときは興味なさそうだったのに。まぁ頑張って」
「首の皮一枚繋がったと思ったら次のダンジョン用意すんのやめてくんない?………こうなったら、アレをするか」
この場にいる親しみのある顔を一人一人見渡しては二マーッと笑ってみせた。そして、まず始めにと隣にいた伏木蔵の肩を叩く。
「伏木蔵、今からあんたの名前は蔵だ。いいかい、蔵だ」
「えぇ〜?」
「サク、あんたはマジで大事な役だからとりあえず儚げに頑張って」
「サクって、僕の名前ですか?」
突然名前を縮められて戸惑っている伏木蔵と伊作。嫌な予感がしたのか「じゃあ明日楽しみにしてるね」と去ろうとする雑渡さんの服をすかさず掴む。
「おい、どこに行くんだ。あんたにも役割はあるんだよ、湯雑渡と銭雑渡というダブルキャストでな」
「なんて?」
「山本さんは腕が6本ある心優しい山じぃでお願いします。あ、始めと最後にお父さん役もお願いしたい」
「え?」
「高坂氏、あんたは蔵のお姉さん的存在のジンていう名前のキャストで」
「は?」
「モロ出し、あんたは……………蛙で」
「何で私だけ蛙なんだ!!」
「私はナレーターやるから。よし、今日は徹夜で練習だ。殿に粗相でもしたら私の首が飛ぶ」
次の日、《蔵と伏木蔵の神隠し》は見事大成功し、客人らの首は飛ばずに済んだ。
〜どうでもいい鬼ババの設定〜
特技 : 筆が速い
敵に捕まりそうになったとき、素早くBLのR18イラストを描いて「ここにあるセリフを声出して読んだら私を人質にしていいよ。読んでみろよ、ほれほれ」と言って追いかけ回す。その後顔を赤くした土井センにめちゃ怒られる。


























