ハロウィンの当日に先輩から手紙が届いた。文面は簡素なそれで、どうやらデートのお誘いであるようだった。待ち合わせ場所は駅前の本屋の軒下。ちょうど先輩が落下してきた植木鉢に頭蓋を砕かれて死んだ場所だ。
先輩はすでに死んでいる。
まごうことなく、間違いなく。
そしてこの手紙は、明らかに何者かによるいたずらだろう。それもかなり悪質な。トリートのまえにトリックだけ仕掛けて立ち去って行こうとは、なかなか令和のハロウィンというものも一筋縄ではいかない。お菓子はいらないからいたずらだけさせろということか。
大体、その日は彼女とデートに行く約束があった。一か月前に交際を始めたばかりの彼女と、今日は少し良いところで夕食を食べる予定となっている。私はその手紙のことを無視して、デートに着ていくための衣服を選びにかかった。
待ち合わせに十分遅れてやってきた彼女の化粧はいつもより気合が入っていた。人身事故で電車が遅れちゃって。そう言って手を合わせる彼女の仕草はきっと、人身事故で亡くなった方への黙祷ではないのだろう。
今日はステーキなんでしょ。いっぱい食べようって、昼食抜いてきたんだと彼女は笑う。いつも通りの陽気な彼女の笑みに、一瞬だけ先輩の姿を見出した。
先輩は、私が初めて好きになった男の人だった。
生まれてこの方、私は自分の性別に納得したことがなかった。つまり私は女性というより、男性よりであると考えていたのだ。けれど身体は女性だった。生理も来たし、胸も大きくなった。身体は必然のように女を選んだ。
精神だけが、子供のように男の子のままでいた。
端から見れば、それはきっと、同性愛者ということになっていたのだろう。けれど心のうちから見れば、極めてスタンダードな恋愛だったと、今にしてみれば思う。これまでに八人の女の子と付き合ってきた。それが現実で、それが私の人生だった。
そこにヒビを入れたのが先輩だった。
最初の会話は上手く思い出せない。けれどきっかけはサークルの飲み会だったはずだ。未成年飲酒を推奨するような場の雰囲気が嫌になって抜け出した、その先に彼はいた。
煙草の紫煙が月に吸い込まれていく。
はじめ、それが人であるとは思えなかった。それよりも何か、荘厳な像のようであると感じた。先輩は一度、こちらにちらりと認識すると、すぐまた闇夜を見上げた。星を数えているのか、あるいは暗闇のなかに何かを見ているのか。
ともかく、そういうワンシーンが、嫌に記憶に残っていて。
レストランのなかに入って、予約していたテーブルにつく。やってきたステーキに目を輝かせる彼女はやはりかわいい。一切れ切って私のほうに差し出す。皿にのせることもせずそのまま口に含んだ。じゅわりと肉汁が溢れる。
美味しいね、と彼女が笑う。
先輩が初めて笑顔を見せたのはいつだっただろうか、と不意にそんな思考が押し寄せた。音声検索のアプリケーションみたいに、その言葉が波及するようにして記憶が呼び出される。
図書館での出来事だっただろうか。私は先輩に気に入られようと、先輩のよく読んでいた推理小説を読もうとしたのだ。確かあれば、黒屍館殺人事件とかいっただろうか。難しすぎてよくわからなかった。その表情を笑われたのだった。
あのとき、なんて言葉を投げかけられたのだろう。
そんな顔して読む本じゃないぞ、とか、そんな言葉だった気がする。ありふれた言葉で、特段覚えておくべきものでもない一言だったけれど、その言葉はまるで金魚すくいのポイのように、ふわりと私を掬い上げた。
会計を終えてレストランをあとにした。渋谷のハロウィンは本物の百鬼夜行のように、有象無象が行きかっている。くだらない受けを狙ったような衣装が多い。このなかにいったい、どれくらいの人間が、仮の姿を装おうとして肌に色を塗っているのだろう。
私の人生はすべてひっくるめて仮装のようなものだった。
仮初を装って、仮面をかぶっているようなものだった。
まあそれもいいか、と踏み出して。
そうしてなあなあでなんとなく。ここまでの十九年間はやり過ごせた。
けれどあの夜はどうだっただろう?
先輩の死んだあの夜はどうだっただろう。
狂ったように騒いでいる人間の群れを観賞し終えて、流行りの曲を見るためにレコードショップへ立ち寄った。CDは売れ行きがあまり良くないのだろうか、数年も前のものが未だに店頭に並んでいる。彼女は推しのバンドを見つけたらしい。青色のジャケットのそれを手にとり、ほれぼれとするような視線を向けている。
結局、CDは買うことにしたようだった。最後はお別れの挨拶をみたいなキスをして、それで今日の私はおしまいになる。手を振る先で彼女は電車に吸い込まれ、その先から手を振り返してくれる。
なんの憂いもないような茶色の瞳の輝きのなかに、ぼんやりとした私が写っている。
「なんつー顔してんだよ」
不意にそう言われたような気がして、思わず辺りを確認した。そしてようやく、それが記憶のなかの言葉であることに気付く。そうだ。確か、そういうセリフだった。先輩はそう言ってひとしきり笑い、私は相応に、そして初めて、意図して頬を膨らませた。
もう一年が経つ。
私はふと腕時計を確認した。
時刻は午後十一時二十四分。
待ち合わせは今日。ハロウィン。十月三十一日。本屋前。
ひょっとしたら、という発想が不意に頭のなかに跳ねた。バランスボールを蹴飛ばしたみたいに、その思考は私の頭のなかをぼよんぼよんと跳ねていく。
もし本当にそこに先輩がいたのなら? 煙草の紫煙をくゆらせて佇んでいるのだとしたら? 小難しい顔で小難しい本を読んでいたのだとしたら?
走ってきた私の、おそらくは真っ赤になっている顔を見て。
なんつー顔してんだよ、と笑ってくれるだろうか。
私は気持ちを伝えられるだろうか。
最低だ、と思いながら、けれど私は走り出すことにした。今日が終わるまで残り約三十分。まだ時間はあるだろう。
渋谷から溢れてきた人ごみを除けながら、逆流するように私は書店へ向かう。頬が紅潮する。心臓が高鳴る。硬い靴が皮膚に食い込んで痛い。私には彼女がいる。彼女のことが好きで、愛している。けれど気持ちにはケリをつけたい。たったそれだけなのだ。
先輩よ、そこにいるか。
地面を蹴る音は書店へと近づく。
