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狭い箱の中(1)

あやひあやひ

「愛してるよ」

 うわ言のように向けられる言葉。
 彼と私しかいない十畳程の空間にそれは大きく聞こえる。ここは彼の暮らしている家の一室で、この部屋ともうひとつ部屋があることだけは教えられた。教えられてもここから出ることは出来ないわけなんだけど。

 私を真っ直ぐに見つめる瞳は、私以外のものが綺麗に映らないと嘆いていた。
 私はそれをただ見ているだけ。彼を可哀相だとは決して思わない。

「……」
「今日も話してくれないんだね」
 ここに監禁されてから、何日経って今が何曜日なのかもわからなかった。時計もテレビもカレンダーもない部屋にいればそれもそうだろう。挙げ句カーテンまで締められてしまえば、この部屋は途端に外界から離された箱になる。

 この状況と自分の手足に嵌められた枷を見てため息をつく。ただわかることは彼は小さい頃大好きだった隣に住む五個上のお兄ちゃんで、子どもの約束で結婚しようねと誓ったことくらい。

 幼馴染みあるあるじゃないかな。当時私は五歳で彼が十歳。そんな約束当然私は忘れて彼氏もいたわけで。
 にこにこと頷いてくれたのも、子どもの言うことに優しくしてくれただけ。
 彼が県外の大学に行ったことで疎遠になっていたから、親から聞いたその地で就職をしたくらいの情報しか今の私にはない。

 忘れていたその約束を果たそうと彼は躍起になっているらしい。高校を卒業した次の日。突然目の前に現れたお兄ちゃんに、卒業祝いに自分の街を案内させてほしいと言われ、両親も記念に行ってこいと日帰りで遊びに行くことになってしまったのは成り行き。
 ドライブをしているうちに突然眠くなり、今ここに監禁されている。
 「ここから出す気はないよ」と光のない瞳を向けられて、まずいと気づいた時には遅かった。

 と言っても彼は私を傷つけたいわけではないらしい。
 最初は手も足も拘束なんてされておらず自由な体。軟禁状態だったから隙をみつけて逃げるつもりだった。

 ただ逃げるにも180cmで中高と野球部に所属していた体格のいい彼と、152cmでちびとあだ名をつけられたこともある私。
 闇雲な正面突破で敵うはずもないため、彼が油断して寝ている時にでも外に出て通行人に助けを求めるつもりだった。
 部屋から出してもらえないまま数日過ごした。
 彼は有給を取ってるからと家から出ることもなく、ネットスーパーを利用して生活をしていると。
 隙を見つけようにも、ずっと家に居られちゃ叶わない。
 部屋を出るタイミングは、家事をするときとトイレやお風呂に入る時だけ。
 私がそれらを利用する時は一緒に部屋を出る。でも見張られていて、逃げ出すことは難しそうだった。

「おやすみ。明里」
 軟禁している犯人とは思えないくらい優しい声と壊れ物を扱うかのように撫でられる頭。知らない人からしたら、恋人同士のやり取りだと思うだろう。

 私にベッドを譲って、自分は布団を敷くだなんて私が逃げ出すことをまるで考えていないかのようだった。
 だからチャンスだと。私は単純にそう思ってしまった。
 何日も拘束なく一緒に寝て、逃げ出していない私に油断しているはず。
 寝息が聞こえるのを確認して寝た振りで閉じていた目を開ける。物音を立てないように布団をめくり足音を立てないように慎重に体を動かす。

 彼の様子を伺うけど寝息は聞こえたまま。
 起こしたらゲームオーバーだと気を引き締めて引き戸式の扉を少しずつ少しずつ横にずらす。
 開いた! 自分が通り抜けられるくらいの幅から、リビングに出る。
 玄関が左手。右手にベランダ。

 トイレやお風呂、食事で部屋を出た時に確認出来ていた情報はそれだけ。
 ベランダの方が近いけど、履き物があるのは玄関。視界に入る窓には全てカーテンを閉められていたから、ここが何階かもわからない。もし一階じゃなければリスクが高すぎる。
 それに知らない土地で深夜に裸足で助けを探すのは危険だ。

 そう思ってリビングの扉に手をかけた瞬間。

「やっぱり。逃げようとするんだね」
 後ろから聞こえた声に体が固まって言うことをきかない。聞いたことのない低く抑揚のない声。誰の発言なんだろうなんて、ここには私と彼の二人しかいないのに。
 音なんてしてなかった。物音には注意していたし、いつの間に背後に立ったと言うのだろう。

「違っ。お手洗いに行こうとして……」
 振り向くことも出来なくて、ガタガタと震える足。バレてた? 試してた?
 今はそんなことどうだっていい。誤魔化してでもここから逃げないと。だけど焦る気持ちが思考を停止させて、冷静に言葉を紡げない。

「外に? 深夜に危ないよ」
 静かな、だけど明らかに怒りを含んだ声。
「その……水の音で起こしたくなかった、から……コンビニに……」
 我ながら苦しすぎる言い訳だとは思う。
 でも数日過ごした中で今更恥ずかしいは通用しないし、恐怖で頭も回らない。

「弁明はそれくらいでいい? 俺も怒りたくないから。ほら、おいで。早く」
 近づく気配に恐怖で上手く息が吸えず、呼吸が浅くなっていく。
「な、んで……」
 振り絞った声は自分の物とは思えないほど掠れて震えている。

「なんで? それはこっちの台詞だよ。俺がいるのに、知らないうちに彼氏出来てたなんて。明里に相応しくなるためにいい大学出て、苦労かけたくないから給料のいいところに就職したのに」
 静かな、それでいて怒りを明確に含んだ声は、氷の刃のように背中に向けられる。

 知らない。こんな人、私が慕っていたお兄ちゃんじゃない。
 彼はいつだって優しくて、私を優先してくれて、怒ったことなんて一度もなくて。

「いいこ」
 後ろから伸びてきた腕に捕らえられて、抱きしめられる。
 力自体はそんなに強くないのに、振りほどく気力はなかった。だってその腕は優しい割りにほどけない圧力を感じてしまったから。恐怖で自分の体なのに言うことをきいてくれない。
 もし振り払えたとしても、逃げ切ることは出来ないだろう。

「ダメだよ。俺から逃げちゃ。さっ戻ろうか」
耳元で囁かれるねっとりとした熱い言葉に、震える体は粟立つ。
 肩を支えられ半ば引き摺られるように、寝室に戻された。
 自分の意思とは裏腹に戻された部屋。ベッドに腰をおろした彼の隣に肩を押さえられて無理矢理着席させられる。

「逃げるのは想定内だったから。これ、付けなきゃ明里は逃げちゃうんだね」

 サイドテーブルの引き出しに手をかけて、取り出したもの。
 上機嫌に満面の笑みを浮かべる姿に嫌な予感しかしないけど、カチャカチャと音を立てるそれを目にして体が強張る。
 金属製の鎖の先には、革で出来た手枷と足枷。
 なんでそんなものがあるの、なんて訊けるわけがなかった。
 逃げる隙もなく腕を取られ、無情にも繋がれる音が耳に伝わる。
「こんな手荒な真似はしたくなかったけど……明里が俺から離れようとするから。ごめんね。大学が始まる頃にはちゃんと返してあげるから」

「っ逃げな、もう逃げないから」

「たった今逃げようとしてたのに、面白いことを言うね」
 足枷の鎖の先をベッドの足に繋がれ、絶望で目の前が真っ黒になった。

 穏やかで優しい口調は昔と変わらないのに、鋭く笑っていない瞳に寒気すら感じる。
「大人しくしていれば、ちゃんと大切にするから」
 そう言って顔を近づけたお兄ちゃんの唇。
 こわれ物を扱うかのような優しい動きで頬に触る手の平。
 至近距離で微笑む顔。
 全てが気持ち悪くて、込み上げる吐き気。
 許容量を越えた情報は思考を停止するには十分で。

「……」
「どうしたの? 眠くなっちゃった?」
「うん……」
 とにかく少しでも離れたい。寝るとなれば別々になるだろう。
 だから眠くなった振りをして、もう布団のなかに潜り込んでしまおうと思った。
 手兄に枷をつけられてしまったら、鍵がどこかわからないのに逃げることは難しい。
「そっか。じゃあ寝ようか」
「うん……」
 ベッドに横になって、目を閉じる。
 寝ている間だけは彼のことを考えずに済むから。
「明里おやすみ」
「……」

 起きても状況は変わらない。悪化しているのに、それでも無理矢理眠りにつくしかなかった。

— End —

Comments 1

ポン3 年前
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Sakuria
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